自己肯定感と自己効力感の違い

 努力して有名大学に入ったとか、がんばってダイエットして〇キロ痩せたなどというふうに、証拠や理由があってこそ成立する自信を、心理学では「自己効力感が高い」と言います。

 反対に「社会的ブランドをすべて失ったり、人にほめられたりしなくても自分を卑下しない、これはこれでいい」と思える状態を「自己肯定感が高い」と言います。SNSでは、自己肯定感は「自分を誇りたい気持ち、自分は最高と言いたい気持ち」と解釈されていることが多いようですが、それは誤りです。

 自己肯定感と自己効力感は正反対のもののように感じますが、車におけるアクセルとブレーキのように、「本当の自信」のためには、どちらも必要不可欠なものです。オトナになり経済活動を行うようになると、誰もが一定の成果を上げなくてはいけませんから、自己効力感は必要です。しかし、評価というのは評価する人や時代によっても変わりますから、努力したとて、毎回必ず報われるわけではないのです。ですから、がんばる人ほど挫折を経験するでしょうが、その時に必要になってくるのが「仮にうまくいかなくて、社会的なブランドが得られなくても、自分の価値が損なわれるわけではない」と思える自己肯定感なのです。

 自己肯定感が強い人は失敗しても自分を傷つけることはありませんから、もう一度頑張ってみようと再チャレンジすることができるでしょう。反対に自己肯定感が低ければ、「失敗した。社会的ブランドを手に入れられない自分は価値がない」と思い込み、すべての挑戦をやめてしまうかもしれません。このように、自己効力感と自己肯定感が組み合わさって成立するのが、揺るぎにくい「本当の自信」なのです。

“価値”へのこだわりの裏にあるもの

 DaiGoの自己効力感と自己肯定感について、考えてみましょう。彼の動画を見ていると、自分と違う意見の人に対し、「お前の生涯年収、俺の2週間分くらいだけど?」と年収で丸め込むことが多いことに気づきます。資本主義社会において年収が高い人は“成功者”として扱われますから、「年収が高い自分は価値が高い、正しい」と勘違いしてしまったのかもしれません。上述したとおり、証拠があってこその自信を自己効力感と呼びますから、DaiGoの自己効力感は突出して高いと言えるのではないでしょうか。

 その一方で、自己肯定感はひどく低いように感じるのです。DaiGoの動画のタイトルを見ると「謝る価値のない相手について、炎上覚悟で語ります」といった具合にタイトルに“価値”がつくものが多いのです。価値にこだわるということは、無価値を恐れていると見ることもできるでしょう。自分が無価値だと思いたくないからこそ、「金を稼いでいる」ことをひけらかしたり、DaiGoの基準から見て無価値な人、今回の場合、経済的に困窮している人をターゲットにして叩いたのではないでしょうか。自己効力感は高いけれど、自己肯定感が低いのだとしたら、その自信は「本当の自信」ではなく、いびつで脆いものだと思います。