華原朋美(47)が結婚した。相手は所属事務所の社長兼マネージャー。会見では、

抱き合ったときに、肌と肌が合う

 などときわどいおのろけも披露した。また、衣裳がかつてのライバル・安室奈美恵が結婚会見で着ていたものとそっくりだと話題に。相変わらず、ニュース映えする芸能人だ。

 それにしても、小室哲哉(62)との破局はかれこれ22年前。紆余曲折を経て、2019年には未婚のまま一般男性とのあいだにもうけた男児を出産した。その子にも、新しい父ができたわけだ。

華原で思い出す「中森明菜」と「宮沢りえ」

 破局といえば、彼女が小室と別れた1998年から遡ること約10年、中森明菜と近藤真彦('89年破局)、宮沢りえと貴乃花('93年破局)と大物カップルの破局が相次いだ。いずれも女性の側が不幸に見える構図であり、三者とも、破局が尾を引くようなつらい時期をすごした。

 特に華原は小室のプロデュースによって世に出た存在。公私ともに頼りにしていたパートナーを失い、迷走が始まった。心身の不調に陥り、睡眠薬や精神安定剤などのクスリにも依存して、休養と復帰を繰り返す。自ら作詞した『あきらめましょう』という意味深な曲を歌ったりしたが、あきらめきれないものがあったのだろう。

 30代半ばには家族の協力により、閉鎖病棟で「薬を抜く」ための隔離治療を受けた。2013年の『24時間テレビ』(日本テレビ系)では、その葛藤と回復までの過程が紹介され、代表曲の『I'm proud』を歌唱。兄が当時を振り返り、

フラフラ下着一枚で道路出て行ってしまうこともありました。ラムネを食べるようにボリボリと服用してしまう

 という状態だったと証言した。

 さて、この芸能界三大破局の「悲劇のヒロイン」3人のうち、最初にスランプを抜け出したのは宮沢だろう。激やせや自殺未遂疑惑といった騒動を乗り越え、演技派女優としての評価を獲得。実業家と結婚して、母にもなった。その後、離婚したが、森田剛と再婚。安定した活動を続けている。

 かと思えば「おひとりさま」的な人生を歩んでいるのが中森だ。歌手としての人気は健在で、2014年の『NHK紅白歌合戦』で4年5か月ぶりの芸能活動復帰は大いに注目された。

 もっと精力的な活動を期待する声も大きいが、体調も思わしくなさそうで、2017年に開かれたディナーショーを最後に表舞台には姿を現していない。2019年に亡くなった妹の中森明穂さんの葬儀にも来ることはなかった。

 そんなふたりの中間にいる印象なのが、華原。明治天皇の玄孫として知られる竹田恒泰らと浮名を流したあと、前述のように子供も産み、結婚も果たした。「明菜型」ではなく「りえ型」へと一歩近づいたようにも思える。