あのころ華やかだった“夜の世界”

 後年、吉村先生と、ある俳句のパーティーでご一緒する機会があった。「鬼平犯科帳ではお世話になりました」とご挨拶をすると、「私はテレビをやったことがありません」と毅然とおっしゃり、びっくりした。

 あのころ、テレビは新興の娯楽。まだ認められていないところがあるからこそ、巨匠である吉村先生は、ご自身の中で映画しかやらない、テレビはやっていないというポリシーがあったのかもしれない。そのテレビが、今や前時代のものとなってきているのだから、時代は移り変わるものだと、つくづく思う

 宗薫先生に連れていっていただいた、あの銀座のバーはまだあるのだろうか。

 あの時代は、出版記念パーティーなどが催されると、必ずと言っていいほど文壇バーのママたちが華やかに参加していた。でも、どのママも作家たちの本を熟読していて、話を合わせられるだけの知性と好奇心を持っていた。

 担当編集Yさんによると、最近は夜の世界のママさんはおろか、ホステスさんを目指す子が少ないという。若い子たちは、スマホのアプリを介してお小遣いを稼ぐことができるから、わざわざ厳しい銀座のクラブなんかは選ばないそうだ。

 それこそ、松本清張先生の『黒革の手帖』みたいな、バーを拠点として野心を展開する男女はもういなくなったということかしら。そうそう。清張先生といえば、雑誌の企画で奈良の東大寺を2人で散策したことがあった。

「最近どんな本を読みましたか」と聞かれ、清張先生の『けものみち』を上げたら、「あれはあなたのようなお嬢さんは読んではいけません」と叱られたっけ。

 コロナが落ち着いたとき、再び社交場として酒場が盛り上がってくれることを、ひとりの“元飲んべえ”として願っている。

冨士眞奈美 ●ふじ・まなみ 静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。

〈構成/我妻弘崇〉