オリンピック、パラリンピックの期間中は放送がお休みだった大河ドラマ青天を衝け』が再始動。パリから戻った栄一(吉沢亮)は、明治維新後の日本を目の当たりに。徳川慶喜(草なぎ剛)が蟄居する駿府を訪れると、そこには川村恵十郎(波岡一喜)の姿も……。

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 故郷・血洗島から江戸にやってきたばかりの栄一らを平岡円四郎(堤真一)に引き合わせ、武士、ひいては事業家への道を歩む原点をつくった人物こそが、川村恵十郎。寡黙でコワモテだが、忠義に厚い。常ににらみを利かせる中で、激レア笑顔を見せた第15回(5月23日放送)は多くの女子がときめき、ツイッターでトレンド入りも。

「あはははは。冷たく見えるから、そのギャップですよね(笑)。ただ、やっているほうとしてはそこを狙う気持ちはなかったので、全く予期せぬ反応でした。円四郎さんを守れなかった回の反応は予想していましたが。無口な恵十郎をそこまでちゃんと見てくださっていることが、とてもうれしかった」

 演じるにあたり、川村恵十郎について調べるも、多くの資料は見つからず。かつて、その人物像にスポットが当たったこともない。

「僕の中では、静かに自分の仕事をまっとうすることだけを考え、演じていました。寡黙を中心に置いている分、笑顔、そして斬られた際にもギャップが生まれていく……という。

 ただ史実として、慶喜公に尽くし、晩年は日光東照宮の禰宜になっているんですよね。志半ばで断たれたような人生ではなかった。実は、恵十郎が母方の高祖父に当たるという子孫の方からSNSを通じて連絡をいただきまして。円四郎さんが最期を迎えたころです」

 その内容は“川村恵十郎がこういう形でフィーチャーされ、きちんと演じてくださっていることに感動しております。波岡さんに演じていただいてよかった”というものだった。

「漠然と僕が思い描く川村恵十郎をやっていたんですけど、血縁の方に、そう言っていただけたことは、間違ってなかったのかなと思いましたね」

 まさに俳優冥利に尽きる役に――。

俳優になりたい!猛勉強して、早稲田へ

 俳優を目指したのは小学5年のとき。

「当時、トレンディードラマが流行っていて。“カーンチ、セックスしよ”の『東京ラブストーリー』がとっても面白くて。見ているこっちがこんなに楽しいんだから、ブラウン管の向こう側はきっともっと楽しいんだろうな、と」

 中学時代には俳優は絵空事だと思っていたが、高校1年のときに地元・大阪の俳優養成所へ。“俳優になる”と公言するように。

「俳優を目指すからには、やっぱり東京。親が出した上京の条件が“大学に行け”だったんですが、全然勉強してなかったので1年浪人して。寮に入り、テレビも見ず、夜8時以降は部屋から出ず。ストップウォッチで1日10時間を計り、サボることなく猛勉強しました」

 翌春には超難関・早稲田大学政治経済学部経済学科へ。

「30歳までに俳優として成功しなかったら起業しようと思ったので、経済を選びました」

 学ぶことで世界が広がり、俳優よりもビジネスに傾倒することはなかったのかと尋ねると、

「なかったなぁ。うん、なかった。ただ、ゼミのつながりでマスコミ系のバイトはたくさんしました。通信社とか、御社の『すてきな奥さん』編集部でも(笑)」

 読者アンケートの集計や、バイク便代わりの届けものなどをしていたと懐かしむ。

「大学3年から27歳まで。『プライド』( '04年)やって、『パッチギ!』( '05年)やって、『電車男』(同)やっても、まだ食えてなかったので。“明日、オーディションなので休みます”も受け入れてくれて、とても居心地よかったですよ。

 最後までやっていたバイトは『すてきな奥さん』とサイバーエージェント。“絶対、営業に向いてるから社員になれ”って何度も言われましたね。断りましたけど(笑)」