蒸発した夫の愛人を世話する理由
それは冨永さんが結婚してから数年後のことだ。若旦那が家に帰宅しなくなった。
「まあ浅草ではよくあることよ。夜遊びに行って、“泊まってくる”なんて言うもんだから、おかしいなと思っていました。でも段々と愛人の存在に気づきました」
相手は、若旦那が花柳界で知り合った芸者だった。当時の心境を、冨永さんは皮肉交じりに語った。
「最初は腹が立ちました。金も持っていないくせにこのやろうと。でも、もともとお金がない家に嫁ぎ、必死で働いていたから、いないほうがかえって仕事の邪魔にならなかった。それに私は花柳界の遊びは心得ていたから、旦那の浮気にはそれほどびっくりはしなかったわ。抵抗がないっていうか」
愛人にうつつを抜かした若旦那は、彼女のために神田にパスタ専門店までつくった。しかし経営は不調に終わり、おまけに若旦那も蒸発。借金だけが残った。そして愛人は冨永さんに泣きついてきた。
「旦那の弟と一緒に彼女のところへ話をしに行きました。わんわん泣いているから有り金を全部置いてきたんです」
若旦那については警察に捜索願を出したところ、「正月か祭りの季節になると帰ってくるよ」とのんきなことを言われ、本当にそのとおりになったという。
妻が夫の愛人の世話をする──。
いくら浅草では「抵抗がない」と言われても、やはり狐につままれたような感覚だ。令和の現代社会では理解されにくい「浮世話」だろう。
冨永さんの長男で菊水堂の代表取締役専務、冨永龍司さん(57)は、幼少のころ、両親と暮らした記憶がほとんどなかった。
「父親は花柳界で遊んで帰ってこないし、タクシーで熱海まで芸者遊びをしに行っていたと聞きました。店(菊水堂)も借金だらけだったから、母親は働かざるをえなかった。だから幼稚園ぐらいまで私は、住み込みで働いていた女性従業員に、それ以降は祖父母に育てられていました」
さらにはその祖父にも愛人がいて、働くのはもっぱら祖母。妻が家計を支え、旦那が外で遊びを覚えるという関係は、冨永家では2世代にわたって続いていたのだ。
龍司さんが語る。
「昔の浅草は、男の人はみんな、彼女がいたそうですね。それで母たちはとやかく言っていないと思います。私の子どもも、店の従業員に面倒見てもらっています。さすがに私には妻以外の人はいませんが」
子どものころ、龍司さんは父親の愛人に連れられて、遊びに出かけたこともあったという。
「父親から“今日はこの人と遊びなさい”と言われ、豊島園のプールに2人で行ったことを覚えています。僕ら商人の子どもは、土日も夏休みも両親は店の仕事があるので、どこかへ連れて行ってもらえません。だからプールは、子ども心に純粋に楽しかったです」
特殊な浅草の家庭環境で育った龍司さんの目に、冨永さんは母というよりは、女将に映るそうだ。父親と過ごした時間は少ないものの、一緒にプラモデルを作ってくれたりと、やさしい一面もあった。そんな父は心筋梗塞で、46歳という若さで亡くなった。当時を冨永さんがこう回想する。
「旦那が亡くなってもみんな、涙なんか流しやしないよ。逆に“照ちゃんよかったね”って言う人がいっぱいいたのよ。散々金を使って遊んだんだからって」
夫の死後も、冨永さんは愛人の援助をしていたというが、それが後々、思わぬ展開につながる。