葬儀での忘れられない言葉
浅利さんは、石原慎太郎さんと仲がよかったことでも知られる。1958年に若手芸術家らでつくった「若い日本の会」で浅利さんと意気投合し、その後、行動を共にして日比谷に完成する日生劇場の建設や運営に尽力した。強いリーダーシップを持っていた。
慎太郎さんが、いつも演出する浅利さんのそばに座っていた。浅利さんがダメ出しをするたびに、熱心にメモをとる──といっても、意中の人が劇団四季の女優の中にいたからなんだけどね。
とてもきっぷのいい女性。楽屋で水割りを飲んで、彼女の舞台がはねるのを待っている姿を見かけたこともあった。そんな若くてカッコよくて純情だった慎太郎さんの姿がよみがえる。
その後結局、浅利さんと影さんは離婚してしまった。以前も、まりこと電話で話していると、影さんの話題になった。
「よかったよね。晩年は彼女を崇拝する若い男の人がそばにいて、看取ってくれたんだから」などと話をしながら影さんを偲んだ。
いまでも思い出す。私とまりこが、影さんの葬儀に参列したときのことを。劇団四季の関係者をはじめ、大勢の人がいる中で、突然まりこが大きな声で「浅利さんが殺したようなものよ!」と泣きながら叫んだ瞬間を。勇気がある。
まりこの家にもよく遊びに行ったなぁ。彼女は、若いころからファッションセンスがとてもよくて、自宅にたびたび仕立て屋さんを招いては服を作っていた。私は、『太陽がいっぱい』のマリー・ラフォレが着ていたようなセーラー服を作ってみたかった。
鮮やかなブルーに、白いラインが入ったセーラー服、そして白いパンツを合わせるファッション。まりこの家にお邪魔して、彼女が服を仕立てる際に、私のリクエストも聞いてもらった。
そのセーラー服は、今も家に置いてある。パンツはとっくにはけなくなったが、きれいなブルーは、今なお色あせていない。昔を思い出してときどき着てみるの。
現実を重ね合わせての自閉症児のお話で、さぞかし熱演しているでしょう。きっと拝見するわね。
(構成/我妻弘崇)