乗せても乗せなくても“地獄”

 まったくベクトルが異なる迷惑客もいる、と言うのは、大阪を拠点とする秋山さん(仮名・40代)だ。秋山さんがいうヤバ客とは、料金に細かすぎる客だという。大阪特有ともいえる文化だが、価格競争が激しかった大阪のタクシー業界では、極端に料金に敏感な乗客も少なくない。

「数日前に同じ場所から自宅に戻った際は、500円も安かった! あんたの運転が下手だからこんなに差が出る、というような指摘を受けたことが何度もあるんよ。ただね、信号や交通状況によって500円くらいの差は出てしまう。だいたいそういう人は降りる際に、暴言を吐くので嫌な気分になりますわ」

 それゆえに、道をすべて指定される客を乗せることも珍しくないのだとか。

トラブルにならないように、だいたい最初に『どの道で行きますか?』と確認するけど、道は全部こっちで言うからそのとおりに行け、という命令をする人が結構おる。ただ渋滞事情などはドライバーの方が詳しいから、結果的に遠回りになったりするんやけど。それで逆ギレする人もいたりで、めちゃめちゃ理不尽な客もおるからたまらんわ」

 最後に、ドライバーの恐怖体験についても紹介しよう。一日に何十人という客を運ぶ仕事のため、時には明らかにその筋の人間を乗せることもある。六本木周辺で営業を行う小川さん(仮名・60代)は、そんな筋者の逃走に利用されたことがあるという。

「大きなボストンバッグを持ち、顔に傷がある男性に突然、車を止められたんです。嫌な予感がしましたよ。どちらまでと聞くと、『とにかく早く出せ!』と言われて、バックミラーをみると明らかなヤクザたちが私のタクシー目掛けて大勢で走ってくる。これはヤバい、と冷や汗をかきました。

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【写真】タクシーに乗り込む芸能人たち

 捕まっても、拒否しても地獄なので、思考停止してとにかく夢中でアクセルを踏んだ。千葉の船橋まで乗せましたが、5万円を渡されて、足早に去って行きました。もしあの時捕まっていたら……私もどうなっていたかは分かりませんね」

 こういった不良関係の送迎に伴うトラブルは少なくない。小川さんは同じく六本木から千葉方面への乗客を乗せた際に、「トイレに行きたいからコンビニに車を寄せてほしい」と言われたこともあった。

 全身をブランド品で固められた服装の男性は、車中ではいかに大きなビジネスをしているか、というような自慢話に終始していたというが、

「会話の内容からも、『コイツは怪しい』と思っていたら、表からはわからないように出口が両方あるコンビニの裏手からトンズラをこかれました。気がついたときには後の祭り。そういった“勘”は当たることのほうが多いですね」

 この職種につく人々は、乗客からのクレームや理不尽な攻撃にさらされることは誰もが経験している。だが、運転手も人間であり、時に弱音を漏らしたくなることもある。狭い車中で過ごす空間は、タクシードライバーの視点に立っても常に不安と隣り合わせだ。

 100人乗れば、95人はまともな客だというが、時に例外もある。そして、そんなトラブルや恐怖と向き合うのもタクシードライバーという仕事でもあるのだ。

栗田 シメイ(ノンフィクションライター)
 1987年生まれ。広告代理店勤務、週刊誌記者などを経てフリーランスに。スポーツや経済、事件、海外情勢などを幅広く取材し、雑誌やwebを中心に寄稿する。著書に『コロナ禍の生き抜く タクシー業界サバイバル』(扶桑社新書)。『甲子園を目指せ! 進学校野球部の飽くなき挑戦』など、構成本も多数。南米・欧州・アジア・中東など世界30カ国以上で取材を重ねている。