「毎週30人近く連れて帰ってきた時期がありました。本人は酔っぱらって先に寝ちゃうし、私は食事を作ったり、知らない人の話し相手を朝までしたり……。
飲み屋さんを開いていたら儲かったと思います(笑)。毎回もう勘弁!と思っていましたが、次の日には“昨日はありがとう”と必ず言ってくれました。だから、しょうがないなって許しちゃって」
妻に支えられ、仕事にも精を出し、俳優としても活躍。
「次はどんな映画をやろうか」
'19年には主演舞台『うつつ 小松政夫の大生前葬』を上演。小松さんの娘役として共演した女優の棚橋幸代が、その人柄について明かす。
「小松さんはお芝居に対して真摯に向き合う方で“あそこをうまく演じられないんだよ”“あの場面はこうしたほうがいいんじゃないか”って、いつも稽古後にいろいろお話ししてくれました。
ご病気を患っていたはずなのに、そんなそぶりはいっさい見せずに。公演の打ち上げで、出演した女性陣みんなで小松さんを囲んでハグしたんです。そしたらボロボロと泣いて喜んでくれたんです」
周囲のことも常に気にかけていた人だった。昨年の夏にはこんな連絡があったという。
「久しぶりに電話をくれて“元気にしてる? また舞台のみんなで飲みたいね”ってお話ししていたんです。元気でよかったと思っていたから、訃報を聞いたときはショックで涙が止まりませんでした。コロナで会えなかったのが本当に悔しい……」(棚橋)
長年にわたって小松さんと親交があった映画監督の坪川拓史氏も、いまだ悲しみを抱えるひとりだ。
「僕の映画5本にすべて出演してくださっているのですが、撮影が終わると“次はどんな映画をやろうか”と小松さんは必ず言ってくださった。ふたりで話して、映画を作ってきたんです。小さいころにテレビで見ていた憧れの人と映画を作れて本当に幸せでした」
出会いは、坪川氏が小松さんに自身の映画への出演オファーをしたことがキッカケだった。当初は断られたが諦められず、小松さんが出演する舞台の楽屋に押しかけた。
熱烈なアプローチに根負けした小松さんが「わかった」と話したのが21年前のこと。今も昨日のことのように思い出すという。