「小松さんが亡くなる数か月前に電話で話したときも、次の映画の話をしました。その脚本も完成しているんですが、小松さんの役をほかの人にお願いして撮影するって気持ちになれなくて……。
今も脚本を書くときに、小松さんにどんな役をやってもらおうかと考えてしまいます。僕が映画を作る理由のひとつがなくなってしまった。心にポッカリと穴があいてしまった感じです……」(坪川氏)
部屋から出てきた大量の「空きビン」
そして、知られざる小松さんの魅力について続ける。
「“バナナの叩き売り”の口上や“泣き売”を演じてくれたり、昔の座敷唄を教えていただいたこともありました。ギャグだけでなく、本当にさまざまな芸に精通していた人なのです。そんな小松さんの一面を、今後はもっと伝えていきたいと思っています」
'19年に肝細胞がんが発覚したが、周囲には何も伝えていなかった。どうしてなのか。朋子さんによると、
「病気を治して、まだまだこれから舞台をやろうと考えていたのだと思います。いつも舞台の話をしていましたから。アルコール性の肝細胞がんと言われていたので、本人も身体のことを考えてか“酒はもうやめた”と話していました。それが昨年の11月に、急激に体調が悪化したんです」
抗がん剤治療を行い、目に見えて衰弱していった。
「病院で寝たきりになり、声も出なくなっていました。12月6日には眠っていたんですが、突然“おい! 今日は帰るぞ!!”って大きな声で叫んだんです。ビックリして起こそうとしたんですが、起きなくて……。コロナ禍で付き添いが病院にいられる時間も限られていましたから、しょうがなく家に帰ったんです」
翌7日の午前5時に病院から電話があった。駆けつけたが意識はなく、そのまま息を引き取った─。
「家に帰りたかったんだと思うと、かわいそうなことをしたなって……。1年たちましたけど、今も亡くなった実感がわかなくて。地方公演に行っている気がしたり、“ねえ、あれはどうしたっけ?”と話しかけちゃったり。でも、誰もいないことに気がついて、現実に引き戻されます」
他界後、小松さんの部屋を片づけていた朋子さん。小松さんが隠していた“あるモノ”を見つけたと明かす。
「お酒の空きビンがゴロゴロと出てきたんです。紙コップも置いてあって。コロナですから、誰かが家に来たわけでもない。昨年の夏はふたりっきりで食事していましたが、お酒も飲まないので、本当にやめたんだと思っていたんです。そんなに飲みたかったのなら、言ってくれれば堂々と飲ませてあげたのに……」
お墓は、夫婦で旅行した際に見つけた、湖を望む霊園に建てたという。春には、しだれ桜が満開になる。