地域政党「自由を守る会」は12月1日、会見を開き、木下前都議に支払われる予定のボーナス、約115万円の差し止めを求める住民監査請求を提出したと発表した。
同党代表の上田令子都議は、
「彼女は会見で自分を客観的に認識できていないと思いました。議員をなんらかの身分、特権のように勘違いをしていると思いました。それに犯罪行為に関する反省もなく権利ばかり主張していた。ご自身が果たすべき義務、果たさなければならなかった責任があったにもかかわらず自分の主張ばかり。
誠意がまったく見られず自己弁護に終始していたと感じました。それに自分は働きたいのに、“都議会のみなさんによって議員バッジを取り上げられた”というような話しぶりは被害妄想もあるのではないかと感じるほどでした」
今後、木下前都議に対し、公の場所での説明を求めるのか尋ねると、
「それは求めません。彼女は反省もしていないし、都民の利益を損なっている自覚もない。会見はいいからまずは都民の税金を返してほしい。
私の元にも多くの都民から“早く辞めさせろ”などの意見が寄せられていました。彼女のしたことは政治、都政に対して多大な迷惑をかけて政治に対する不信感を与えました」
木下前都議は、辞職して終わりだと思っているかもしれないが終わったわけではない。
親子2代で『お騒がせ』
そして、もう1人。親子2代『お騒がせ』になってしまったのが東京・北区区議の榎本一被告だ。11月上旬、覚醒剤取締法違反(使用)の疑いで逮捕、起訴されていた。
「まさか、ってみんなが思っていましたよ。気のいい青年で困り事にはすぐに対応してくれて、区民からは信頼されていたのに」(後援者の80代女性)
榎本被告は1999年に初当選し、現在6期目。同区の自民党議員団に所属していた。
「普段と変わったところもなく、薬物使用にはまったく気づかなかった」(後援者の男性)
誰もが困惑していた。
「真相はわかりませんが複雑な環境の中で育ってきたことがなんらかの影響を与えていたのかもしれません」(前出・大谷さん)
榎本被告の父親は故・田中角栄元首相の秘書を務めていた故・敏夫さん。そして母親の三恵子さんはロッキード事件で角栄有罪の決め手となった人物だった。
「1981年、ロッキード事件の公判中に三恵子さんが検察側証人として出廷しました。そこで“榎本は5億円の受け取りを認めた”と爆弾発言をしたんです」(元全国紙社会部記者)
三恵子さんは自らの正義を貫き、証言した動機を「蜂は1度刺したら死ぬ。私もその覚悟」と説明。『蜂の一刺し』はロッキード事件を象徴する言葉になった。
「敏夫さんは三恵子さんと離婚。その後の彼女はヌード写真を出したり、蜂の格好をしてバラエティー番組に出たり。当時はびっくりしました」(前出・大谷さん)