闘病生活で食の大切さを痛感
遺言は書かない、死後のことを考えるよりも、最後まで前だけを向いて景気よく生きたい。そう語る村上さんだが、コロナ禍に突入する前から、自身の命や終活について、考えるきっかけはあった。
「今まで数十年の間に書きためてきたレシピや研究資料は膨大な量になっていました。子どもたちはそれを揶揄して“お母さんの紙くず”なんて呼んでいましたけれど(笑)」
その数なんと50万点。仕事場になんとか保管していたが、年を重ねるうちに“自分にもしものことがあったら”という思いがよぎるように。
「私がこれを残して、パッと逝ってしまったら、さぞみんな困るだろうなと……。そう思って、主人が亡くなったときに終活の中締めとして、整理を始めました」
研究資料は、福岡女子大学に寄贈。4トントラック2台で運ばれ、現在は『村上祥子料理研究資料文庫』として一般公開されている。食を学ぶ次世代へと受け継がれたのだ。
そうやって身仕舞いを整えつつも、続けているライフワークがある。「ちゃんと食べて、ちゃんと生きる」、その大切さを伝えること。
「私が“食と命”の重要性を考えるきっかけになったのは、30代で患った顎の病気でした。完治までは4年かかり、10回の手術で18本の歯を抜く壮絶な体験。歯のない顎では十分に食事もできない、それでも生きなければと思ったとき、命を守るには何よりも“食べる”ことだと身にしみて感じました」
簡単で質素なものでいい。この本では、毎日のごはんの積み重ねこそが大切だと伝えたかったという。
「煮魚も、ふろふき大根も、電子レンジで手軽に作れる。お出汁も1分でとれる簡易出汁で十分! 頑張らなくてもいいから、この味を知ってほしい。それがきっと、“健康に生きていく”ことにつながると思うんです」
昭和、平成、令和と、時代とともに歩み続け、料理家としての人生は半世紀を数える。
「好きなことを仕事にすることができ、私の人生はとてもハッピーでした。料理を作ることは仕事でもあり、生活の一部でもあった。だから、そこで生まれた楽しかった会話、幸せだった記憶とともに、その料理を遺したい」
言葉どおり、本の中には料理にまつわるエピソードがちりばめられ、懐かしい昭和の風景とともに思い浮かぶ。幸せな食の思い出と、健やかな人生は切り離せないのだというメッセージが込められている。