事件と現実は“薄皮一枚”

 少子高齢化、社会保障費の増加、介護者不足。障がい者や高齢者の介護は民間団体の委託がほとんどを占め、在宅での支援を推進している。

「これこそ多様性社会を望む国民が求めた結果です。個人の尊厳を大切にすることは素晴らしいこと。行政も個別にきめ細かなサービスをしようと心がけているのも事実だと思います。ですが各家庭と個人の人権を守りながら支援をするには、人員も予算も足りない。

 一方で今は、家庭や地域で見守ることこそが“善”であり、病院や施設に入れることは“悪”とされている。だから行政は自分たちが扱えないケースは最初から手をつけない」

暴力をふるう精神疾患のある息子とその家族の同作1巻1話。家族は息子と離れる選択をした(新潮社提供)
暴力をふるう精神疾患のある息子とその家族の同作1巻1話。家族は息子と離れる選択をした(新潮社提供)
【写真】「子供を殺してくれませんか…」漫画に描かれた衝撃のエピソード

 余計な仕事を増やさないように介護支援者は当事者と家族からのSOSは見て見ぬふりをせざるをえない。親は苦悩し、孤立化するのだが。

「孤立した果ての事件ではなく、むしろ国の方針が、積極的に家族を孤立させ事件で解決させる。地域共生と言われても、行政も手を引く問題に地域住民が手を貸せるはずもない。結局、家族の問題は家庭で落とし前をつけてくれと押しつけるんです」

 押川さんはある当事者家族の事例を語った。

「認知症の70代の両親と精神疾患のある40代次男を、同居する長男が面倒を見ることになったケースです」

 次男は受診をせず、自宅にこもり両親が介護していた。だが相次いで認知症を発症。長男が次男の面倒も見ることになったが入浴を拒否し悪臭を放つ彼を疎ましく思い、食事を満足に与えず、おまけに殴る蹴るの暴行。その家には両親の介護でヘルパーが出入りしていたが……。

「“介護で入っているだけ。それ以上のことはやらない”と言っていました。だから私は“実態を知っているのだから役所に報告する義務があるだろう”と責めました。事業所の所長に連絡しようとしたらヘルパーから“私がクビになります、押川さんだけでとどめてくれないか”と泣きつかれました。これが行政から民間業者に支援を委託したことによる実態です」

 そして、こうした家族の共通点は子どもを何十年も放置。親が元気なうちに根本的な解決をしてこなかったこと。

「身近な人が受診や公的機関への相談をすすめても“自分たちで何とかする”と拒否する。それで最悪になってから腰を上げても誰も助けません。結果として、殺す殺されるまで追い詰められる」

 そうなる前に助けを求められれば運命は変わる。

「重要なのは病気の知識を持っておくことです。私の原作漫画は絵でわかりやすく事実を伝えているので“うちと一緒”だと気づき、この漫画を読んでぞっとした、という声も聞きます。事件と現実は薄皮一枚。越えるか越えないかは知識や想像力の差でしかない」

 押川さんは問題が家庭内にとどめられ、社会問題化されずに自己責任論ばかりが強調されることを懸念する─。

 同作中にはこんなセリフがある。

《子供を殺してくれませんか……。子供が死んでくれたら……子供が事故にでも遭ってくれたら……》

 とし子容疑者は警察の調べに対し、「長男を殺すつもりはなかった」など容疑の一部を否認しているという。

お話を聞いたのは
株式会社『トキワ精神保健事務所』所長
押川剛さん

リモートで取材に応じる原作者の押川さん
リモートで取材に応じる原作者の押川さん

 1992年前身のトキワ警備を創業。'96年より精神障がい者移送サービスに業務を集中。病識のない当事者らを対話と説得で医療につなげるスタイルをつくる。『「子どもを殺してください」という親たち』『子供の死を祈る親たち』(新潮文庫)ほか著書多数。