M-1グランプリ歴史

2001年
第1回(MC 島田紳助、赤坂泰彦、菊川怜)
(審査員 島田紳助、松本人志、鴻上尚史、ラサール石井、春風亭小朝、青島幸男、西川きよし)

中川家、ハリガネロック、アメリカザリガニ、ますだおかだ、麒麟、フットボールアワー、キングコング、チュートリアル、DonDokoDon、おぎやはぎ(1603組)

 島田紳助を発起人に、若手漫才師日本一を決定する大会として吉本興業主催でスタート。出場資格は結成10年以内(プロ、アマ不問)で1603組が参加。決勝出場者10組の得点上位2組が最終決戦へ進出するルールだった。結成10年目だった中川家が初代チャンピオンに。

2002年
第2回(MC 西川きよし、山寺宏一、中山エミリ)
(審査員 島田紳助、松本人志、大竹まこと、ラサール石井、島田洋七、中田カウス、故・立川談志さん)

ますだおかだ、フットボールアワー、笑い飯、おぎやはぎ、ハリガネロック、テツandトモ、スピードワゴン、ダイノジ、アメリカザリガニ(1756組)

 準決勝敗退者で敗者復活戦が行われるようになり、決勝出場者8組に敗者復活を勝ち抜いた1組を加えた9組で得点上位3組が最終決戦に進出するルールに変更。松竹芸能所属のコンビ・ますだおかだが優勝。増田英彦は前年4位を悔しく思い、結果が出なければ漫才をやめる覚悟で臨んだ、と語った。

『ますだおかだ』の岡田圭右(右)はバラエティー番組やMC業でも活躍
『ますだおかだ』の岡田圭右(右)はバラエティー番組やMC業でも活躍
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MCに今田耕司が加わる

2003年
第3回(MC 今田耕司、西川きよし、小池栄子)
(審査員 島田紳助、松本人志、南原清隆、島田洋七、ラサール石井、大竹まこと、中田カウス)

フットボールアワー、笑い飯、アンタッチャブル、2丁拳銃、りあるキッズ、スピードワゴン、アメリカザリガニ、麒麟、千鳥(1906組)

 3年連続で決勝に進み、視聴者からのメールゴング(メール投票)でも人気を集めていたフットボールアワー。なんと緊張からか、ツッコミの後藤輝基が最終決勝でオチ直前のセリフを噛んでしまうという大失態を起こしながらも優勝をもぎ取った。この年から現在もMCを務める今田耕司が加わる。

2004年
第4回(MC 今田耕司、井上和香)
(審査員 西川きよし、南原清隆、大竹まこと、島田洋七、春風亭小朝、ラサール石井、中田カウス)

アンタッチャブル、南海キャンディーズ、麒麟、タカアンドトシ、笑い飯、POISON GIRL BAND、トータルテンボス、東京ダイナマイト、千鳥(2617組)

 結成10年目のアンタッチャブルが最終決戦で審査員7人中6票を得て優勝。準優勝した南海キャンディーズ共々ブレイクすることに。賞金の使い道を聞かれたアンタッチャブルは、「M-1の前から事務所の改装工事が始まったので少し持っていかれるでしょう」と記者会見で笑いを誘った。