芸能界に“アイドル文化”を確立

最高視聴率は34.2%!『渡鬼』生みの親

橋田壽賀子さん熱海の自宅にて(2018)
橋田壽賀子さん熱海の自宅にて(2018)
【写真】2021年に亡くなった有名人の秘蔵写真

 田村正和さん死去のニュースで悲しみに暮れる中、4月4日、橋田壽賀子さんが急性リンパ腫のため95歳でこの世を去った。亡くなる前日に闘病中の病院から退院したばかりで、静岡・熱海の自宅に戻っていたが翌日に帰らぬ人に。

 橋田さんといえば『おしん』('83年〜'84年)や『渡る世間は鬼ばかり』('90年〜2019年)の脚本家として活躍し、女優の泉ピン子とは家族同然の付き合いをしていたこともあり、泉は橋田さんの最期を看取ったという。「ママって呼んだら、目を開けて。安らかに眠るように亡くなりました」とコメントし、ピン子が最後の化粧を施した。

 10月に開かれた「東京ドラマアウォード2021」では橋田さんに特別賞が授与され、60年にわたりコンビを組んで『渡鬼』を制作してきた、石田ふく子プロデューサー(95)が代理でトロフィーを授与した。

【追悼】橋田壽賀子さん、生前に語っていた「私がお墓に入るとき」
https://www.jprime.jp/articles/-/20545
【追悼】橋田壽賀子さん、連載担当者に聞いた「最期の2年間」
https://www.jprime.jp/articles/-/20554
橋田壽賀子さん「幸楽は宅配とテイクアウトで…」『渡る世間は鬼ばかり』新作のテーマは“コロナ禍”だった
https://www.jprime.jp/articles/-/20591

「〜じゃあ〜りませんか」で一世風靡

 4月18日、吉本新喜劇座員のチャーリー浜さんが4月18日、誤嚥性肺炎、呼吸不全のため78歳で亡くなった。「〜じゃあ〜りませんか」のギャグで一世を風靡し、'91年『新語・流行語大賞』で年間大賞を受賞し、その後『ごめんくさい』などのフレーズも人気を呼んだ。

 チャーリー浜さん訃報を受けて、吉本新喜劇座長の小籔千豊は「先人の頑張りがあったから僕は吉本新喜劇でおらせていただいています。流行語大賞をとった新喜劇の人間はチャーリー浜さんだけです。全国の方々に吉本新喜劇を知っていただくきっかけをつくった最大の功労者のひとりであり、偉大な先輩です。」とコメントを発表。

昭和の頑固オヤジ『寺内貫太郎』

小林亜星さん(1976)
小林亜星さん(1976)

 作曲家・俳優として活躍した小林亜星さんが心不全で88歳で亡くなったのは5月30日だった。小林さんといえば『北の宿から』『この木なんの木』『ガッチャマンの歌』『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』など、多くのヒット曲を手掛けただけでなく、'74年『寺内貫太郎一家』で昭和の大家族の頑固オヤジに大抜擢され人気を博す。

 最期は早朝の自宅で倒れ、そのまま同日に亡くなってしまったため多くの関係者、ファンが悲しみにくれ、数多くのCMソングを手掛けた縁もあり、日立製作所、日本生命、積水ハウス、明治、サントリーホールディングス、メガネドラッグなど多くの企業から追悼コメントが発表された。

 '21年の『第63回 輝く!日本レコード大賞』では特別功労賞を授与された。

小林亜星さんを悩ませた、絶縁8年「不肖の60歳息子」と「4億円遺産」の憂い
https://www.jprime.jp/articles/-/21179

“ジャニーズの母”として芸能界に貢献

メリー喜多川氏
メリー喜多川氏

 多くのアイドルを誕生させたジャニーズ事務所の名誉会長・藤島メリー泰子さんが8月14日、肺炎のため都内の病院で93歳で亡くなった。弟のジャニー喜多川('19年死去)さんと二人三脚で日本の芸能界に男性アイドルという文化を確立させ、多くのアイドルタレントを輩出した。

 お別れ会を開催し、盛大に見送られたジャニーさんとは対照的に、メリーさんは近親者のみでひっそりと見送られたというが、息を引き取った同日には、所属タレントが次々と病院に駆けつけ故人にお別れの言葉をかけたという。

 事務所の“長男”である、東山紀之は「厳しいマネージャーであり、良き理解者であり、そして、優しい母親でもありました。私の人生でなくてはならない存在のメリーさんが天国に旅立ちました。(略)行く先々を明るく照らしてくれて本当にありがとう。天国のジャニーさんによろしくね」とコメントを発表した。

メリー喜多川さん“女帝”ではない「衣装おばさん」の顔と、滝沢秀明に託した“遺言”
https://www.jprime.jp/articles/-/21732
木村拓哉、インスタに添えた「2枚の匂わせ写真」が示すメリー喜多川さんとの親密度
https://www.jprime.jp/articles/-/21711