日本人のアートの価値観を変えたい
日本の美術界にアンチテーゼを唱える異端者─。それゆえ松井は、母国である日本ではペルソナ・ノン・グラータ、“好ましくない人”となる。
「自分で価格をつけ、フランスで自由に生きている私の存在が面白くないんだろうね。僕が『レクイエム・ヒロシマ』という作品を描いたとき、平山郁夫さんに会ったことがある。彼は広島出身。会うなり、「おいキミ、原爆を体験していないのになぜ描こうというのだ?」と言われた(苦笑)。
体験していなければ描いてはいけないの?しかも、“キミ”呼ばわり。四六時中、マウンティングをしている日本美術界を象徴するような言い回し。そんな偉ぶっている画家も、裏では画廊や画商に頭が上がらない。だから、僕は嫌気がさして、日本とは距離を取っていた」
だが、予期せぬ日本での長期滞在が、松井の心境に変化をもたらす。
「自分の経験をもっと伝えていかないといけないなって。それにフランスでけっこう頑張ってきたつもりなのに、『お前みたいな画家は知らない』って、まるでホラ吹きみたいに扱われるんだよ(笑)。悔しいじゃない」
松井の心は、フランスにある。だが、国籍は日本のままだ。何度もフランス人から国籍取得をすすめられた。それでも、日本人であることにこだわった。コルシカ島で日本国籍の住人は、松井ただ1人。頑固。だからこそ、コロナ禍によって帰れなくなったこの1年半を、「天啓だったんだなぁ」と噛みしめる。
松井に期待する声も大きい。'18年12月に誕生した、日本文化の新たな発信拠点となる神田明神文化交流館『EDOCCO』。ここに松井の作品を展示することを決めた同神社の名誉宮司である大鳥居信史さんもその1人だ。
「神田明神は、伝統と革新を掲げています。伝統は不変を守ろうとするだけでは枯渇してしまいます。そこで 『EDOCCO』では、松井先生に、これからの伝統を作っていただく、革新の領域を担ってほしいとお願いしています」
「スタイルを持たない僕にはぴったり!ありがたい」
そう言って松井も破顔する。ピカソは、青の時代、キュビスムの時代、新古典主義の時代という具合に、1つのスタイルにこだわることを嫌った。その教えを松井も貫いている。
「つねに変化をしていかないといけない。それが成長なんだよね。日本に滞在している間は、大きな絵を書くことができなかったから比較的小さなサイズの絵を描いていた。小さい絵だからこそ想像、空想する力が求められる。
また、湿気の多い日本は、油絵を描いてもフランスのようには乾かず、発色のある色になりづらい。そこでフリーズドライをした野菜を粉末状にして油彩絵の具に混ぜてみた。日本古来の草木染めから着想したんだけど、日本にいることで新しく得たことも多いんだ」
自らの革新を怠らない松井が、どうしても塗り替えたいことがあるという。「日本人のアートへの接し方」だ。
「僕は子どもたちに絵を教えるとき、『利き手ではないほうの手で描いてごらん』と提案する。面白いもので、利き手ではないほうの手で絵を描くと、子どもたちはのびのびと絵を描き始めるの。利き手ではないから、誰しもうまく描くことはできない。
そのため、絵に自信がない子でさえも、まわりを気にせず、自由に描こうとするの。これこそがアートの素晴らしさ。うまい下手や、周りの評価を気にしたりすると、人は自由さを失ってしまうんだ」
大人であってもそれは同様だと付言し、「ときにはペンを利き手ではないほうで持つように、反対のことをしてみるといい」。そう松井は教える。
「アートは心の癒しであると同時に、資産でもある。このバランスが大事。幾度となく戦火に見舞われたフランスでは、国が混乱に陥れば、紙幣は紙切れになる。そこでアートに価値を見いだした。ものの価値というのは、自分で基準を決めなければいけない。
でも、日本ではお墨付きをもらわないと価値を見いだすことができない人が多い。それだと自分にとっての癒しと財産のバランスを欠いてしまう。自分の心が癒される所に価値があると自分で言い切れる。そういったマインドを伝えていきたいんだよね。審美眼が養われれば、よいアーティストもたくさん生まれると思うから」
現在、松井の作品は、『EDOCCO』のほか、上賀茂神社(襖絵)、そしてホテルアークリッシュ豊橋で見ることができる。姉の千恵子さんは、「まずはたくさんの人に守男の絵を見てほしい」と願う。誰かがよいと言っていたからではなく、自分の感性で松井の絵と向き合ってみる。すると、いかに自分が、誰かの、何かの評価を気にしているか、気がつく。
なぜ今まで私たちは、この画家を知らなかったのか。その問い自体が、われわれの常識や先入観を疑わせてくれるのだ。
幾重にも重ねられた松井の絵。松井守男は、フランスで日本人の常識を塗り替え、戦い続けてきた。今度は、私たちがこの日本人の絵から学び、これまでの常識に、新しい常識を上書きする番だ。
〈取材・文/我妻弘崇〉