家族は気づかなかったのか

 昭和48年以降、12人を出産し5人を殺害(真梨子の供述によれば6人殺害遺棄であるが冒頭陳述で検察は5人殺害とし、さらに時効成立により実際に罪に問われたのは和歌山で発見された3人の殺害死体遺棄)し遺棄したという恐るべき母親に対し、平成19年4月25日、和歌山地裁は「動機は短絡的で人の親としてあるまじき非道な行為」として懲役8年(求刑懲役9年)の判決を言い渡した。

 この事件は、未婚の女性が処置に困って、と言ったものではなく、すでに子どもがいる母親によって繰り返された嬰児連続殺人という点、家族らと暮らす家に遺体を隠すなど、さまざまな点で異様な経過をたどった。

 不可解な点もあった。それぞれの時期、夫をはじめ、家族らは何度も妊娠出産を繰り返す真梨子の異変に気付かなかったのかということである。

 真梨子はもともと、ふくよかな体型だったというが、それにしても夫も気づかないということなどあり得るのだろうか。

 真梨子が大阪の家を出たあと、何年にもわたって自宅に隠されていた遺体の存在をまったく知らなかったというのも気にかかる。

 大阪の元夫と義母は、真梨子が逮捕され遺体が発見される日までその家で暮らしており、これについて、警察ジャーナリストとして知られる故・黒木昭雄氏はルポの中で「最初の結婚が破綻したのは、夫が嬰児殺しに気づいたからではないのか」という指摘をしている。物置の遺体に気づかなかったのではなく、見て見ぬふりだった可能性はなかったのだろうか。

 それは、事故死した2人目の夫にも言える。マンションという広くない空間の中で、夫は押し入れの秘密を知らなかったのだろうか。

※写真はイメージです
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 前出の黒木氏の取材によれば、夫は真梨子らが失踪したあと、あきらかに様子がおかしくなっていたという。

 会社ではミスを連発、円形脱毛症にもなり同僚らの手助けやアドバイスを拒むだけでなく、自宅マンションに帰りたくない、と漏らしていた。

 夫は真梨子の失踪後、一緒に暮らしていたマンションをそのままにして別のマンションへと引っ越している。遺体は一緒に暮らしていたマンションから発見されているため、遺体の存在に気づいていた可能性もある。

 彼が亡くなったという事故の状況も不自然だった。彼は車を運転中、走行中のトレーラーに、後方からノンブレーキで突っ込んでいたのだ。

 そこで黒木氏は、夫はもしかすると真梨子が家を出たあとに「押入れの秘密」に気づいてしまい、もうその部屋で暮らし続けることができないと悩んでいたのではないか。マンションの契約を続けながら別のマンションに引っ越すわけだが、そのことに悩んだ挙句の自殺だったのでは、と考察している。

 夫が事故死したあと、夫が暮らしていたマンションに現れた真梨子。その部屋で何かを探し始めたが、目当てのものが見つからなかったのか、何も持たずに部屋を出たという。

 これまでの生活でも、真梨子はふらりと家を出ては戻ることがあったという。しかし、このときの家出中の夫の引っ越しと事故死は誤算だったと思われる。

 裁判では真梨子の精神鑑定を行った医師が、真梨子は自身が体験した虐待的養育を、自身の子どもに対して殺害・遺棄という形で“再演”した、と証言した。加えて、9歳のころから中学まで続いた性的虐待が人格形成に深刻な影響を与えたと裁判所も認めた。

 子どもを産み、殺し、隠し続けた真梨子。一方で子ども思いの面も垣間見れ、離婚当初は残してきた子どもらに服を届けることもあったという。

 しかし、裁判で真梨子ははっきりと証言した。

「子どもをかわいいと思ったことなど、一度もない」

事件備忘録@中の人
 昭和から平成にかけて起きた事件を「備忘録」として独自に取材。裁判資料や当時の報道などから、事件が起きた経緯やそこに見える人間関係、その人物が過ごしてきた人生に迫る。現在進行形の事件の裁判傍聴も。
サイト『事件備忘録』: https://case1112.jp/
ツイッター:@jikencase1112

【参考文献】
読売新聞 平成17年12月15日大阪朝刊、平成19年1月25日大阪朝刊
毎日新聞 平成17年12月15日大阪朝刊、12月17日大阪夕刊、平成18年3月2日大阪朝刊、平成19年4月25日大阪夕刊
産経新聞 平成17年12月20日大阪朝刊、平成18年1月7日大阪朝刊
『和歌山嬰児5人殺害事件 あまりに悲しい女被告の半生』(週刊朝日 2006.2.3 p.30~35
、2006.5.5・12 p.34~35)
『11人産んで6人を死なせた容疑者の女と不可解な警察発表-追跡 和歌山・嬰児殺害遺棄事件』黒木 昭雄 著

※「置屋」とは、芸者や遊女を抱えている家のこと