'80年代末~'90年代初め 「イカ天」と「やまかつ」が起こした一発屋バブル
1988年ともなると、アイドルブームも下火に。そんななか、ある大物アイドルがボーカルを務めたロックバンドが一発屋になった。ラ・ムーだ。
工藤静香あたりがやるならともかく、ラ・ムーを始めたのはロックとは程遠いイメージの菊池桃子。デビュー曲『愛は心の仕事です』には、
「桃子なのにラ・ムーなのはなぜなの?」
と題された解説文が挿入されていたが、その答えは曲を聴いてもわからなかった。
また、秋元康が手がけた男性アイドルグループ・幕末塾もすぐに失速。秋元系ではおニャン子の男性版・息っ子クラブに続く一発屋となった。それでも、彦摩呂がグルメタレントとして生き残ったおかげで、たまに話題になる。先日も『あいつ今何してる?』(テレビ朝日系)で元メンバーが集まり、デビュー曲『Come on Let's Dance』(1989年)を披露していた。
しかし、アイドルは下火でも、日本は元気だった。バブル経済が絶頂に向かいつつあり、それを象徴するような一発ヒットがCMから誕生。時任三郎が“牛若丸三郎太”名義で「24時間戦えますか」と歌った『勇気のしるし』(1989年)や、鷲尾いさ子と鉄骨娘が「ソーレソーレ」と踊った『鉄骨娘』(1990年)である。
また『私の彼はサラリーマン』(1989年)のような珍品も。大手企業社員の2人組・SHINE'S(シャインズ)によるコミックソングだ。
「イカ天」と「やまかつ」
そして、1989年には一発屋と縁の深いふたつの番組がスタート。『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)と『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)である。
前者は「イカ天」ブームを巻き起こし、数多くのアマチュアバンドを世に送り出した。なかでも『さよなら人類』(1990年)のたまはオリコン初登場1位や『紅白』出場といった快挙を達成。ただ、アンダーグラウンドな芸風を自覚していた彼らは意外とさめていた。メンバーのひとりは、
「もし、百人が百人、たまをいいと思ったら、気持ち悪すぎます」
などと語っていたものだ。少数派向きという傾向は『お江戸』(1990年)のカブキロックスなど、多くの「イカ天」系バンドにも当てはまる。今も生き残っているのは『恋しくて』(1990年)のBEGINくらいだろうか。