三度目の正直だ!2014年のソチ、2018年の平昌で銀メダルだった平野歩夢選手が、北京五輪スノーボード・ハーフパイプで日本人初の金メダルを獲得した。弟の海祝選手とともに幼い頃からスケートボードに触れて育った平野選手だが、彼の夢を競技活動を支えてきたのは父であり、そして家族だった。
おめでとう、金メダル! 平野歩夢が3大会目にしてついに悲願を達成した。
「まさに三度目の正直です。ソチ、平昌では同じハーフパイプで銀メダルでしたから。この競技では日本初の金メダルとなりました。トリプルコーク1440という大技を成功させ、96・00の高得点で圧勝。弟の海祝選手も出場して9位。お兄さんの英樹さんも選手で、スノーボード三兄弟です」(スポーツ紙記者)
平野は東京オリンピックでもスケートボードに出場しており、日本で5人目の夏冬五輪出場選手となった。
「サーフィンが好きだった父の影響で、息子たちもボード遊びが大好きに。それを見た父は、800万円の借金をして地元の新潟県村上市にスケートパークを開設。三兄弟は幼いころからボードに触れて育ったんです」(同・スポーツ紙記者)
スケートボード日本代表監督の西川隆氏は、兄弟たちを小学生時代から見てきた。
「すでにスケートボードで有名だった兄の後を追っかけてきたという感じでしたね。おとなしい性格ですが努力家で、まわりからは一目置かれていました」
ニコニコしたいいお兄ちゃん
父がつくった日本海スケートパークは2019年に閉鎖され、代わりに市営の村上市スケートパークがオープン。
「歩夢選手は昨年9月に来て練習していました。スノボに備えて感覚を磨いていたのでしょう。クールでひょうひょうとしたイメージですが、子どもたちの前では、いつもニコニコしていますよ。弟の海祝くんとともに、“いいお兄ちゃん”という感じです。メダリストなのに、ほかの子どもたちと一緒に並んで順番待ちをしていますよ」(村上市スケートパーク関係者)
後援会理事長の佐藤巧氏は、平野の父と20年来の友人。三兄弟を見守ってきた。
「今回は金メダルを取ると確信していましたよ。環境が整っていないころからお父さんが一生懸命やってきて、それが花開いたんですね」(佐藤氏、以下同)
平野の快挙には、兄弟の力の後押しもあったという。
「歩夢くんはお兄ちゃんの後を追いかけ、抜いてやろうという気持ちがあったんですね。小さなころから目の前にはっきりとした目標がありました。選手として兄貴の背中を追い続けることで成長し、自分の信じる道を進むことができたんです。今回の金メダルは英樹くんも自分のことのように喜んでると思いますよ」
そして、競技本番では弟に助けられている。
「歩夢くんはジャンプが高いぶん、雪が解けてくると角度がずれてコースを外れる可能性がある。不安だったはずですが、先に滑走した海祝くんがいい点数を取ってくれた。それで自分もやれる、と思い切って行けたんですよ。弟が頑張ってくれたから、何の心配もなく集中できた」
父が切り開いた道を兄弟3人が歩み、協力して勝ち取った金メダルなのだ。