2月4日に開幕した北京オリンピック。拡大するコロナ感染の影響で一時は開催も危ぶまれたが、フタを開けてみれば日本代表選手たちが繰り広げる熱戦で大いに盛り上がっている。なかでも金メダル第一号となったのがスキージャンプの小林陵侑選手。彼の“舞台裏”を取材してみると、意外な一面が見えてきてーー。
メダル獲得後、五輪に魔物はいましたか?と聞かれて、
「僕自身が魔物だったかも」
「(団体で失格となった高梨沙羅に対して)たくさんハグしてあげました」
その言動にも注目が集まる小林陵侑が偉業を達成!
スキージャンプ男子個人ノーマルヒルで金メダル、男子個人ラージヒルで銀メダルを獲得した。ジャンプ男子の金メダルは、長野五輪での船木和喜以来、24年ぶりの快挙だ。
「夏はサッカー部、冬はスキー部という形で所属していましたが、両親と本人の希望もあって、オフ期間の夏場もスキーの練習に取り組んでいましたね」
そう話すのは、岩手県の八幡平市立松尾中学校でスキー部顧問として3年間、小林を指導した永井陽一さん。金メダリストにも挫折はあったという。
「スキー部で行う朝練習への参加は強制ではありませんでしたが、1、2年生のときは小林の参加頻度はまばらでした。それが、3年生になるころには毎日通うようになった。中学2年生で出場した冬の全国大会で入賞できず、その悔しさをバネに練習に取り組むようになったんじゃないかと思います。1、2年生のときに全国大会を経験し、ほかの選手の意識の高さを肌で感じられたことも大きい。日ごろから積み重ねの大切さは教えていましたが、自分の経験として学ぶことで、スキーへの意識が変わっていったのでは」(永井さん、以下同)
レジェンド・葛西紀明からスカウト
努力が実を結び、中学3年時には全国大会で2冠を達成。高校卒業後は、スキー界のレジェンド・葛西紀明にスカウトされる形で、葛西が監督を務める『土屋ホーム』スキー部に所属した。
「技術面の向上は、葛西監督の影響を大きく感じます。本人はよく“緊張する”と口にしますが、周囲にそういったそぶりは感じさせませんね。自分のペースで本番に臨むのがうまく、中学のころもリラックスしてジャンプできるところが小林のいいところでした」
五輪大会中も連絡をとっていたのは、札幌市内にあるラーメン店『らーめん味坊』の店主・堀和浩さん。小林はオフ期間中、月1回の頻度でトレーニング後に訪れるという。
「金メダルを獲得した後に“餃子5個おまけでつけるよ”と祝福のLINEを送ったら、“帰ったら食べに行きます!”って返信をくれました」(堀さん、以下同)
スキーから離れた場面での小林の素顔は─。
「ファッションが好きだって話していましたね。私服はいつでもおしゃれですし、特にスニーカーへのこだわりはハンパない。僕は“足先までおしゃれだね”とちゃかしていますが(笑)。車も好きで、初めて会ったころはポルシェを運転していて驚きました。帰ってきてから忙しいとは思うけど、ぜひ金メダルを持って来店してほしいですね」
レジェンドの指導とラーメンで、魔物はもっと飛躍するだろう。