本番もハードだった。
「2時間以上で休憩なし。加えて舞台は“八百屋”といわれる傾斜があり、足腰に負荷がかかります。白鸚さんと私は、30段近い急な階段を上り下りもします。コロナで休演になってしまったのはとてもつらいと思いますが、この舞台に1300回以上立ち続けた白鸚さんなら、きっとやりきれると思います」(佐藤)
80歳を迎える肉体に現れた異変
しかし、過酷な舞台の負荷によって白鸚の肉体には異変が現れていたようだ。
「2015年10月の『ラ・マンチャ』公演の翌月に歌舞伎座で『勧進帳』の弁慶を演じたのですが、それ以来、ひざの調子が思わしくないんですよ。あの演目は“飛び六方”という、片足で跳ねながら退場する動作がありましたからね。70歳を過ぎて、連日の舞台でひざを酷使してしまったのがマズかった……」(松竹関係者)
最近では食欲も衰えてきたのではないかという声も。
「コロナ禍前までは、息子の松本幸四郎さん一家と行きつけのステーキ店によく食事に行っていました。そこでは、1ポンドステーキとライスをペロリと平らげていたそうですからね。でも、コロナ以降は1度も行ってないっていうんです。幸四郎さんは家族で今でも通っているみたいなので心配です」(白鸚の知人)
彼はなぜ、このタイミングで『ラ・マンチャ』からの勇退を決めたのか。歌舞伎評論家の中村達史氏に話を聞いた。
「十分にやりきったという思いがあるのではないでしょうか。白鸚さんは青年のような心の持ち主で“夢のために生きてこそ人生”という考えを持っています。だからこそ、今まで激しいミュージカル劇を続けてこられたのだと思います」
歌舞伎役者としての今後も気になるところ。
「2018年に二代目白鸚を襲名してからは、高麗屋頭領としての重圧から解放され、自由の境地へと歩みながら芸を高め続けているようにお見受けします。一方、昨年末に弟の吉右衛門さんを亡くされているので、伝承への危機感から後進育成などにも目が行くかもしれません」(中村氏)
『ラ・マンチャの男』は終わっても、白鸚の歌舞伎道はまだまだ続く─。