離婚で「ゼロからのスタート」手を差し伸べた『笑点』

「当時はレギュラーが10本くらいあって、ブロマイドの売り上げも7か月連続1位。2位が西城秀樹さんで3位が郷ひろみさんでした。憧れの郷さんを抜いちゃったんです」

 人気絶頂のグループで作詞・作曲やコント作りまで務めるリーダーとして活躍したが、メンバー間で次第に意見がぶつかるように。

お笑い路線でやりたい僕と、アイドル路線でやりたいほかのメンバーとで分かれてしまったんです

 結果として、山田はグループを脱退。同時期に、プライベートでは結婚を迎えた。幸せなゴールインを果たした……かと思いきや、その後の人生をめぐって問題が。

そのときの妻は裕福な家の女性で“引退して家業を継いでほしい”と言われたんです。でも“自分の居場所はやっぱり芸能界だ”と思い、別れを選びました。慰謝料などを払わなきゃいけなかったから、本当にゼロからのスタートになりましたね……

 人生のどん底を味わったが、そこに救いの手を差し伸べたのが『笑点』だった。

「本当は、ある有名な関取の方が6代目の座布団運びになる予定だったんです。ところが、その人が“俺は座布団運びなんかやらないよ”と断ったそうで、僕に声がかかったんです」

 かつて『ずうとるび』を生み出した番組が、再び山田の人生に明かりを灯した。見せ場を作ってくれたのは、当時司会を務めていた5代目三遊亭圓楽さんだった。

「圓楽師匠が“山田くんを目立たせよう”と考えてくれました。林家こん平師匠に“山田くんの悪口を言いなさい。山田くんはそれを突き飛ばしなさい”って。それが、あのくだりの始まりなんですよ」

 恒例の“突き飛ばし芸”には、数々のエピソードがある。

春風亭昇太さんの座布団が8枚くらいのときに、思わずバーンとやってしまったんです。かなりの高さで“いけない!”と思ったけど、彼がうまく受け身を取って“プロレス同好会入ってましたから、大丈夫です!”と(笑)。この前は、桂宮治くんを初めて突き飛ばしたんですよ。そしたら林家たい平ちゃんが“『笑点』の洗礼を受けたね、感謝しなさい”って(笑)

 すっかりお茶の間の人気者となったが、その活躍は世界的な巨匠の目にも留まり、'87年にはスティーブン・スピルバーグ監督の映画『太陽の帝国』にも出演した。

最初はドッキリだと思いましたよ(笑)。撮影中でも、『笑点』の収録がある日はちゃんと帰してくれました。別のハリウッド映画に出演する話もあったけど“『笑点』を休んでくれ”と言われたので、それはお断りしました