下田で過ごした夏の思い出

 少年時代、長い夏休みの間、共働きだったご両親に代わって心平さん、姉・友さんの面倒を見てくれたのは母はるみさんのご両親だった。静岡県下田にある祖父母宅の隣には、祖父が経営していた印刷所の工場があった。

「インクの匂いがする昔ながらの印刷工場で、活版印刷用の活字を選ばせてもらったり紙が裁断されるさまに見惚れたり、日がな一日飽きもせず時間を過ごしていました」

 心平少年にとっては、印刷工場が格好の遊び場。作業の手伝いをすると大人たちの休憩時間に交ぜてもらえた。

「僕も大人に交ざって一緒にお菓子を食べながら談笑したり、繁忙期じゃなければ納品のトラックに乗せてくれて、帰りに釣りに連れて行ってくれたこともありました」

祖母が作る魚料理ですっかり魚好きに

鯖の味噌煮寺澤太郎(大和書房『栗原家のごはん』)より転載
鯖の味噌煮寺澤太郎(大和書房『栗原家のごはん』)より転載
【画像】母・父から受け継いだ「わが家ごはん」レシピの数々

 祖父母宅の食卓は下田という土地柄、新鮮な魚料理が多かった。中でも思い出深いのがアジの押し寿司。

 お盆になると下田では「下田太鼓祭り」という夏祭りが開催され、大勢の人がやってきて街は大変なにぎわいだった。太鼓祭りの時期、祖母宅に親戚たちが遊びにくると、祖母は決まってアジの押し寿司を作って振る舞った。

「僕が堤防からサビキ釣り(釣り針をいくつも付けて魚を釣る方法)でアジを200匹ほど釣ってくるんです」

 釣りたての新鮮なアジを手際よく捌いて大量の押し寿司を作ってくれたという。

「祖母の料理はどれもおいしかったけれど、アジの押し寿司は特に絶品だったんです。僕が渋い味好みだったことを差し引いても、最高においしかった」

祖母の味を再現するのに難航

 近著『栗原家のごはん』で祖母との思い出の一品「アジの押し寿司」を紹介することになった。本のテーマとしてはなくてはならないものだったが、問題はレシピ作り。

「まず第一関門は、ちょうどいいサイズのアジを探すことでした。大きすぎても小さすぎてもダメなんです。当時、僕が釣ってきたアジは小ぶりだけれど身がキュッと締まっていてうまかった」

 新鮮な魚介がいつでも手に入る下田と違ってここは東京。どうにかツテを使い、サイズ感もちょうどよく新鮮なアジを手に入れたときは安堵した。次なる壁はレシピ作り。

「祖母がアジを捌くのを手伝ってはいたけれど、作り方は直接教わっていなかったんです。実は祖母の味は母でさえたどり着けないほど再現が難しいんです……。非常に難儀しました(笑)」

 頼りにしたのは母と祖母の共著と、自分の舌の記憶。何度も試作をし、試行錯誤してようやくレシピは完成した。

 料理撮影の際、姉の友さんにアジの押し寿司を作ると伝えたら「私の分も取っておいて」と頼まれたとか。それだけ栗原家にとっては特別な思い入れのある料理なのだ。