「そのときがきたらジタバタしねえ」
2億円の借金は8年前に完済した。脳梗塞をやって、心臓の手術をして、自然に「鉄はもういいかな」と思うようになった。大きすぎると感じていた山梨の工場を引き払い、奈良に移った。
鉄、ガラス、土、小説、すべての篠原さんの表現や舞台での存在感に通底しているのは「もののあはれ」だと麿さんは言う。
「砂漠に置いた鉄のオブジェはいつか錆びて朽ちていく。それが土にかわって、今回の個展の『空っぽ』というコンセプトになった。彼自身が空っぽになって無に帰するようなところもあるでしょう。そこに、彼のものの見方が貫かれているんだと思います」
長年住み慣れた山梨を離れることも、狙いはなく、導かれるように決めたという。
「オレは昔っから流浪する要素を持ってんだナ。行く場所行く場所でなじむけどヨ、あるとき風のように去っていく。寂しさもねえんだよ。昔は死ぬことが怖かったけどヨ、このごろは、そのときがきたらジタバタしねえと思うナ。生きている間にどこまで面白いことができるかなと思ってる」
個展で数日間東京に滞在していた篠原さんは、奈良に戻ったその足で、鹿野園(ロッキャオ)の作業場に向かった。早速、陶芸窯や土、釉薬についていつも相談している「クサくん」に来てもらう。草葉善兵衛商店という老舗の陶芸専門店、12代目社長の艸葉典久さん(51)だ。
「クサくんヨ、この辺りの田んぼの土で焼きたいんだ」
「普通はそんなこと考えませんけどね(笑)。そのまま1200度で焼いたら溶けちゃいますから、ブレンドの割合高くせんといてくださいよ」
「溶けちゃうか。それもいいナ。失敗しますと言われると、そこにおいしいところが落ちてると思うんだナ」
「あはは。普通じゃ考えつかへんことをいつも一緒に考えさせてもらえて新鮮ですわ」
「人の話は一応聞くけどナ、言うとおりにはしねえんダ」
奈良に住んでまだ1年だが、篠原さんを親しみを持って「クマさん」と呼ぶ知り合いがどんどん増える。東大寺長老とは唯識論の話を交わし、茶の湯が趣味の飲み屋の店長と仲よくなって、隣の無口なお百姓に「鶏をつぶすから食べにきませんか」と誘われる。
「オレは鼻も耳も利かねえけどヨ、その分目玉がすげえんだ。砂漠に住むやつらが砂嵐が来るのがわかるように、チラ見で人を見分けられるゾ」
前出の自伝的小説の中で「人と暮らす能力に欠けていると薄々思っていた」と綴った篠原さんだが、今、「カカア」と呼ぶ女性がそばにいる。
23年ともにした愛猫よりも長い時間を過ごしている。
「オレの逃げ足が衰えたんだろうナ(笑)。逃げるってのはエネルギーいるんだよ」
土と戯れ夢中になると、作業場に泊まり込む。2、3日家に帰らないことも多い。
「いい具合に離れてそれぞれに生きるスタイルなんだ。毎日家に帰らなきゃなんねえなんて、誰が決めたんだろナ」
毎日のスケジュールは決まっていない。1日1個はわんをつくり、眠くなったら寝床に入る。3時間寝ると目が覚める。トイレに行くのが面倒で、中庭に立ち小便。
「小便しながら見上げるとヨ、満天の星があるんだ。宇宙ってなんだろって考えたりしてナ、それでまた空っぽのわんをつくりながら、宇宙の果てまで飛んでいくんだ」
自分の身体と世界の境がなくなり、宇宙と一体化するような感覚だろうか。
土をこね、また眠くなれば寝る。朝起きると茶を点てる。空に向かってポカーンと口を開けた中庭には、春の花が次々と咲きはじめ、空からツバメが舞い込んで玄関口に巣をつくりはじめた。
「オレのつくるわんなんかより、ツバメの巣のほうがよっぽどすげえ。こうして中庭を見てるとナ、ああ、いいなあと思うんだ。
80歳にしてようやく、朝起きるのが楽しみになったヨ」
〈取材・文/太田美由紀〉