「平成時代から必ず奉迎に参加しています。以前は1000人以上が集まり、手渡された小旗を振っていました。コロナの影響もあり、いつもの盛り上がりはなくとも、ご通過時の興奮は変わりません。上皇ご夫妻がお元気そうで何より安心しました」
ご滞在初日の夕暮れ時、ご夫妻のお姿は御用邸裏の海岸にあった。
「20人ほどの警備やおつきの人に囲まれながら、相模湾と富士山が見渡せる『小磯の鼻』を散策されました。この日は偶然にも、富士山頂に夕日が沈む“ダイヤモンド富士”が見られる日。年に2回のチャンスとあり、県外からも多くの人が訪れていました。ビューポイントまで手をつなぎながらたどり着いた上皇ご夫妻は、住民や観光客とともに美しい日没を堪能されました」(前出・住民)
妊婦に対してお心遣い
上皇ご夫妻は、日が完全に落ちるまでの10分以上、その場に佇んでおられたという。
「おつきの男性が“下見のときには見られなかった光景です”と伝えると、ご夫妻は顔を見合わせながら、満面の笑みを浮かべて喜んでいらっしゃいました」(同・前)
散策は45分以上にわたり、集まった人々とも対話された。都内から訪れた20代女性は、こう振り返る。
「足場が不安定な斜面に立っていたところ、美智子さまが“どうぞ上へ”と言ってくださって。さらに“半袖で寒くないかしら?”と心配していただき、上皇さまからも“だんだんと冷え込むからね”と声をかけていただきました」
おふたりの“支え合い”に感銘も受けたという。
「会話の中で、上皇さまが同じ質問を繰り返したり、相手の発言を理解しておられなかったりすると、美智子さまがすかさずフォローされて。逆に、美智子さまの足元に段差があると、上皇さまが“気をつけて”と声をかけていらした。おふたりの日常が垣間見えたような気がして、心があたたまりましたね」
犬の散歩をしている夫婦や、偶然居合わせた元宮内庁職員の女性、部活帰りの青年などに声をかけられた上皇ご夫妻。妊婦に対して美智子さまが、「大変でしょう」と心を寄せられる場面もあった。
「1959年の秋、第1子を懐妊中だった美智子さまは、マタニティードレスをお召しになって、上皇さまと『小磯の鼻』を散策されたことがありました」
そう振り返るのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。美智子さまが流産を経験された1963年には約2か月半にわたり葉山御用邸に1人で滞在された。