産む男が白眼視され、産まない女が罪悪感を抱える

 また、このドラマの興味深いところは、男性の妊娠が世間から蔑視されている点だ。「男が妊娠なんて気持ちが悪い」「遺伝子的に問題があるのでは」「まともな人間なら妊娠などしない」などと差別と誹謗中傷の的になっている。

 SDG'sが叫ばれ、多様性を認める社会を目指すと言いながらも、男性妊夫への風当たりは相当強い。健太郎は男性妊夫であることを逆手にとって、大クライアントのモデルとなり、一躍有名になる。男性妊夫たちの希望の星となり、オンラインサロンなどで悩みや情報を共有し始める。ま、健太郎は男性妊夫の光の部分を担っているわけだ。

 一方、影もちゃんと描いている。こっちは男性妊夫仲間の宮地(宇野祥平)とその妻(山田真歩)が背負っていた。宮地夫妻にはすでにひとり息子がいるのだが、父親が男性妊夫であるがゆえにいじめられているという展開。宮地夫妻にはある不運が訪れるのだが、妻が漏らした本心には「声高には語れない複雑な思い」が込められていた。

「普通」や「当たり前」からはみ出すことへの恐怖や不安を涙ながらに語る姿には、胸を打たれたし、配慮を感じた。誰もが勇敢に差別と闘えるわけではない。当事者には当事者の苦しい心の内があるという、物語上でも重要な場面だったのだ。

 そして、男性妊夫が迫害される世界には、表裏一体で「妊娠しない側の女性が背負う罪悪感」も存在する。妊娠する男が男らしくないと言われる一方で、妊娠しない女は「女の役割がまっとうできなくてかわいそう」と憐れまれる。こっちはこっちで、産まない罪悪感に苛まれる。女らしさとは何か、母親らしさとは何か。社会が押し付けてくる性的役割に、女たちはやはり苦しめられるのである。

 そのあたりは、前近代的な思想の田舎の両親(斉木しげる・根岸季衣)と不仲になっている亜季や、健太郎の母(筒井真理子)が訥々と言葉で表現していく。

「ひゃっほーい、妊娠しないで子どもできてラッキー!!」とはならないところが、非常に現実的というか日本的なのだ。海外ドラマならもっと割り切った感情論になりそうだが、そうはいかないのよね、日本では。

父でも母でも男でも女でもなく、「自分らしく」

 健太郎の妊娠を巡り、すったもんだの騒動が起きるものの(ネタバレになるので本編をぜひ)、無事に出産。ふたりは子育てに奔走する。亜季は元同僚から海外での仕事に誘われているが、育児のために先延ばしにしている。そこで健太郎は背中を押す。

「俺たちは誰も犠牲になっちゃダメだよ。全員の人生を大切にしたい。自分らしく、行ってきてください」

 そう、このドラマは「男は男らしく、女は女らしく」という押し付けや刷り込みを振り払おうと提案しているのだ。もっといえば、「父親らしく、母親らしく」という因習を根底からひっくり返す提案でもある。性別や属性で語り継がれてきた(思い込まされてきた)決めつけを打破して、「自分らしさ」を取り戻そうっつう話なのだ。
 
 立場逆転で多様性の意義を再確認という、今の世に響く社会派ドラマなので、ぜひ観てほしい。もちろん、本音を言えば、「いいよなぁ、男は。妊娠出産しても、育児しても、介護しても、感心されるしホメられるし、ドラマになるんだから」と舌打ちする自分もいる。

 でもね、ちょっとだけスカッとするシーンもあって、舌打ちが膝打ちに変わる瞬間もある。健太郎の会社に勤める女性たち(伊勢志摩・山本亜依)のなにげない会話にご注目。「それな!」っつって、思わず拍手するから。

吉田 潮(よしだ・うしお)
 1972年生まれ、千葉県船橋市出身。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆。『週刊フジテレビ批評』(フジテレビ)のコメンテーターもたまに務める。また、雑誌や新聞など連載を担当し、著書に『幸せな離婚』(生活文化出版)、くさらないイケメン図鑑(河出書房新社)、産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか?』(KKベストセラーズ)などがある。