一般化されはじめた新婚旅行

 その後、新婚旅行はさらに一般化する。戦前の新聞では新婚旅行にまつわる記事が度々紹介されるように。

昭和11年11月16日の読売新聞では、大安の夜に東京駅をたつ“新婚列車”について報じられました。

 熱海行きの車両に二等車2両を増結した特別列車に乗り込み、たくさんの新婚カップルが旅へ向かうようすが紹介されています。新婚旅行が広く浸透していたことがうかがわれますね」

 こういった大々的な新婚旅行も、戦時に入ると一時中断となった。国を挙げた質素倹約の時局となり、新聞報道でも新婚旅行の代わりに神社参詣が推奨されている。新婚旅行が復活を見せるのは、戦後しばらくたってからだ。

「終戦後、戦地から復員してきた人々が結婚をして第一次ベビーブームが始まります。その後、国鉄の発足などもあり、戦後復興が進むにつれて新婚旅行も徐々に再開されました。この時期もやはり箱根や熱海、伊勢などが変わらず人気だったようです。

 旅先に大きな変化が見られたのは、第一次ベビーブームに誕生した世代が結婚し始める1960年代以降。このころには南九州、特に宮崎県が新婚旅行の新定番地として大ブームが起こっています

 高度経済成長に伴い、観光振興のために毎日新聞社が企画した『新日本観光地百選』というキャンペーンの後押しを受け、宮崎交通が日南海岸という新しい観光地を開発。

 また、1960年には昭和天皇の第五皇女・島津貴子さまが結婚され、夫側の実家でもある宮崎県を訪問された。その行程は事実上の新婚旅行として広く報道されている。

さらにその2年後、ご結婚後間もない現上皇ご夫妻もおふたりで宮崎を訪問されています。また、1965年にはNHK連続テレビ小説『たまゆら』の舞台としても知名度が高まり、異国情緒あふれる日本の南国・宮崎は瞬く間に新婚旅行の中心地になりました。

 この時期の新婚旅行の写真を見ると、男性はスーツにネクタイ、女性も白手袋をつけるなど、フォーマルな装いが目立ちます。女性は全員、景色がよく見える窓際に座っているのも印象的です」