あえて子ども食堂と名乗らなかった理由
オープンした当初、『おかえり』ではお惣菜だけでなく680円のランチも売り出し、20歳以下の人には無料で提供していた。そのように子どもへの支援をしながら、店名にあえて“子ども食堂”と入れなかった理由について、上野さんはこう説明する。
「子ども食堂と名づけたら、貧困のイメージから行きづらい人も出てきます。それに、子ども食堂には国や自治体からの助成金が出る一方、子どもの親や高齢者、地域外の人が利用できないといった制約が生じてしまう。そのせいで、しんどい人が排除されるのは嫌だったんです」
誰も排除しないための工夫は、ほかにもある。手持ちのお金がない人は、店頭に張り出されたクーポン『お福分け券』を使い、ランチを食べることができた。これは、『おかえり』を支援したい人がお福分け券を1枚500円で購入し、ランチ代を肩代わりする仕組み。現金以外の方法で支援できるとあって評判を呼んだ。
シングルマザーの就労支援を行う佐々木妙月さんは『おかえり』が開店する前、物件探しをするところから協力してきた。庄内で最初に子ども食堂を開くなど、母子支援に長年尽力してきた佐々木さんは、上野さんにとって頼もしい先輩でもある。
「豊中市は北部が高級住宅街、庄内のある南部は下町で、同じ市内でも経済格差が大きい。特に南部は生活保護の利用者やシングルマザーが多く、ひとり暮らしの高齢者も増えています。上野さんが『おかえり』でやっている老若男女を問わない支援の形は、そうした庄内の土地柄に合っている。どれだけの人が恩恵を受けていることかと思います」(佐々木さん)
2020年の暮れには、上野さんを驚かせるようなことが起きた。
「スマホにかかってきた電話に出たら、“『ハイアットリージェンシー大阪』と申しますが”と言うんです。だから“違います”と言って切ったの。一流ホテルがうちに連絡してくるわけがない、いたずら電話や、と思って」
いたずらでも間違い電話でもなかった。上野さんの取り組みを知ったホテル側が協力を申し出てくれたのだ。2021年から月1回、四つ星ホテルの副総料理長が作る無償のお弁当が『おかえり』で振る舞われるようになった。
企業からの支援だけではない。炊き出しをしていたころのつながりで食材を提供してくれる団体をはじめ、さまざまな形で応援してくれる人々が『おかえり』に関わっている。そうしたボランティアの数は学生から弁護士まで、100人をゆうに超える。活動資金を支援するサポーターも250人を突破した。
取り組みが注目され、支援の輪が広がること自体は素晴らしいと思う。と同時に、上野さんはこうも考える。
「私たちの取り組みは本来、政治がやるべきこと。『おかえり』や子ども食堂のような“共助”を隠れ蓑にしないで、国は生活保護を受けやすくするなど“公助”を手厚くして、責任を果たしてほしいです」
生活が苦しかったり孤立していたり、しんどい思いをしている人たちにコロナ禍はさらなる打撃を与えた。彼らを支える『おかえり』も、その影響から無縁ではなかった。
「コロナ禍で食堂を経営するとなると、パーティションなどの設備投資が必要。でも、そこにお金をかけるぐらいなら、持ち帰り専門にしようと方向転換したんです」
以前から、余った料理や売れ残りのお惣菜で出る『フードロス』は気がかりだった。
「余った料理をパック詰めして店頭に並べてみたら、持ち帰る人が多くて。それで気をよくして、お惣菜の無料提供を本格化させるようになりました」
『おかえり』がオープンして間もないころから、上野さんの活動に注目してきたメディアに『人民新聞』がある。市民記者の木澤夏実さんは、取材で訪れたのをきっかけに今も交流が続いている。
「『おかえり』には食材だけでなく、(配布用の)カイロや大人用の紙おむつ、子どものおもちゃが置いてあったりする。それを見て、ここはただの食堂ではなく“ごちゃまぜのお助け場所”なんだと思いました。
上野さんがすごいのは、すべてをひとりでやらないところ。ここ以外にもネットワークがあって、自分だけで抱えようとしないで、周りの人たちに声をかけるんです。意外とできないことだと思います」(木澤さん)