初代「和の鉄人」誕生秘話
大阪万博の翌年にあたる1971年、新店舗のオープンにあたり、道場さんが決めたことがある。それはお客さまが支払いやすい値段にするということ。オープン当初のコースの値段は5000円程度。それから1万2000円で20年ぐらいキープした。現在も夜のコースは同じ価格のままだという。
「最高級の懐石の店みたいなかしこまったのは僕の性格的にダメだし、かといって大衆食堂もできないだろうし、自分でも中クラスの店って言っています。僕がそれまでの和食になかった食材を使うというので、“道場君の料理は日本料理じゃないね”とバカにされたこともあるけど、店はいつも満席だったよ」
1993年、62歳になった道場さんの名を一躍、全国に轟かせたテレビ番組『料理の鉄人』が始まった。
企画の発案者であり、現在は道場さんの動画チャンネル『鉄人の台所』を手がけるプロデューサーの田中経一さんは、そのころの道場さんをこう語る。
「番組が始まる前、料理研究家の結城貢さんに企画がうまくいくと思うかどうかを聞きに行ったんです。そのときは、“和食とフレンチが戦って、どちらが美味しいかなんて言えるわけがない”と言われて、フジテレビさんも“大丈夫?”という空気でした。
だけど、衣装合わせのタイミングで道場さんに、“フォアグラが出てきたらどうされます?”と聞いてみたら、“あんこうの肝に見立てて、肝ポンにするかな”とおっしゃって。当時の和食界にそんなことを言う人はいませんでしたから、“この人ならいける!”と思ったんです。道場さんがいなかったら、たぶん『料理の鉄人』という番組は成立しなかったと思います」
日本料理にフュージョンを定着させた道場さんは、初代「和の鉄人」として圧倒的勝率を誇った。それだけでなく、有明で行われたワールドカップや香港決戦、最強鉄人決定戦などあらゆる対戦でタイトルを獲得していく。その勝因を、田中さんはこう見ている。
「『料理の鉄人』は、審査員がいて、その向こうに視聴者がいるわけですけど、道場さんはその人たちが何を期待しているかよくわかっていらっしゃる。美味しい料理を作れる方はたくさんいますけど、そこに予想外のアクセントをつけたり、意外な組み合わせであったりを果敢に狙っていく。それでいて、味が空中分解しないでピタッと決まるんですよね。なんていうのかな。食べる人の心理状態をよくわかっていらっしゃる。だからトップでい続けられるんでしょうし、人気もあるんでしょう。
それに、道場さんって本当に威張らないんですよ。料理界に敵がいない珍しい人です」