母が子宮がんに、そして父親も
広美さんの在宅介護を始めてから8年後、今度は広美さんに子宮がんが見つかった。それも末期。子宮以外にも骨盤、そして周りのリンパ節にもがんが転移し、もはや手術では摘出できない状態だと言われた。
家族でローテーションを組んで病院に詰めて、看病にあたった。そのかいあって、広美さんは退院できることに。当時、在宅医療は画期的な試みだった。
「今では緩和ケアが当たり前になりましたが、母がお世話になったのが『緩和治療科』。外来で治療したいという人がかかれるところでした。今だと当たり前ですが、25年くらい前にそういう治療を埼玉の病院がやっていたというのは画期的だったんですよ」
当時は、町さんの母親だけでなく、秀哲さんも胃がんが見つかり、同じ病院に入院した。当時の担当医・小野充一先生(67・現新都市ホームケアクリニック理事長・院長)はこう話す。
「お父さんのケアを担当した際に、お父さんの寂しさや元気のなさに直面しましたね。お母さんが闘病しているとき、自分の妻に死んでほしくないという心のうちに閉じ込めてしまったつぶやきを、もう少し誰かに聞いてもらいたかったのかもしれないと感じました。
結局お父さんは、私の印象的には消え入るように亡くなっていったのですが、もっと早くからお父さんにわれわれが向き合ってあげられていたら、お父さんの気持ちも変わったのかなと思ったことを覚えています」
先生はこんな話もしてくれた。
「エピソードといえば、町さんがアナウンサーのパリッとした衣装とメイクで病院に来て、そこでお母さんのベッドにもぐり込んでグーグー寝てたのを看護師が見つけて報告してきたことがありました。“すごいね、オープンだね”とみんなで感心して笑ったのを覚えてますね。
仕事と介護の両立で、だいぶお疲れだったんでしょうね。なんだか微笑ましかったですね」