アナウンサーから報道局へ
広美さんが亡くなった直後、亞聖さんは、アナウンス部から報道局に異動し、記者としての仕事に追われるようになる。
「この時期、私は朝のニュースキャスターをしながら、隔週で社会部の記者として、医療を中心とした企画取材をこなしていました。母の介護を通して、『がん』や『ドラッグ・ラグ』というテーマに出会ったんですね」
ちなみに「ドラッグ・ラグ」とは、海外で承認されている薬が日本国内で承認されるまでに、長い年月を要するという問題のこと。日本で薬が承認されるまでの期間中、患者は「海外には薬があるのに治療が受けられない」状態になる。製薬業界では、この問題の解決が課題のひとつに挙げられる。
この当時の亞聖さんを知るのは、現在も日本テレビの報道局デスクを務める徳留美保さん(57)だった。
「私は日本テレビの夕方のニュースでディレクターをしていたときに何本か町さんの企画のお手伝いをしました。最初の企画は2004年『インフルエンザ脳症』というテーマ。このテーマに着目したのも、取材に応じてくれる家族を探したのも町さんでした」
徳留さんは、亞聖さんに独特の目線を感じたとこう続ける。
「病気の治療や先端医療を伝えるだけじゃなくて、たとえ病気や障害があっても家族がいつも一緒に、当たり前の日常生活を過ごせることが大切、それが町さんの目線なのだと思いました」
その後も亞聖さんは、がん治療の最前線などを次々取材していった。放射線治療を日帰りで受けられる民間の総合病院。抗がん剤の認可が遅れているドラッグ・ラグの問題。新薬の認可を待ちながら亡くなった患者さんの遺族……。
「そうやって18歳のころのハートを抱えたまま今も自問自答を続けているのではないかな。苦しいけれど、自分だからこそ伝えるべきことがある。1人でも多くの人の役に立てるならばと自分を奮い立たせてまた前に進む。町亞聖はそういう人だと思います」
徳留さんは、亞聖さんのおかげで命拾いをしたという。
「2020年に子宮体がんが見つかり手術と抗がん剤治療を受けたんです。不正出血があってすぐにこれは卵巣か子宮のがんかもしれないと思って検査をしたので初期の段階ですぐ対処できました。
もし発見が遅れていたら町さんに“あれだけ早期発見が大事って企画一緒に作ったのに!”って怒られちゃう。すぐ町さんに連絡しましたが、町さんの存在自体がセカンドオピニオンみたいなので不思議と不安はありませんでしたね」
スタイリストの山中ゆかりさん(55)は、亞聖さんが日テレ新人アナ時代に『波瀾万丈』で知り合い、現在まで続く友人である。
「実は、今日私の母親の葬儀でした。闘病中に町さんにも相談したんです。そしたら“おそらく長くはないんだからできるだけお母さんのそばにいたほうがいい”と言われました。
それで実際最後までいてあげることができた。『波瀾万丈』の番組で、1度スタジオに町さんのお母さんが車椅子で見学に来られたことがありました。
とにかく家族が仲のいい、お母さんが太陽のような方でした。一緒にご飯を食べていても、町さんはお母さんのお話をするんですよ。
妹さんとも仲がよくて“妹は同志だから”なんて言ってましたね」