'00年にティーン誌を卒業し、『CanCam』に出るようになったが、半年ぐらいはあまり撮影に呼ばれなかった。

「周りからも“最近、雑誌出てないけど何やってるの?”と聞かれたのですが、何も言えませんでした」

 読者モデルとしての知名度はあったが、認めてもらえなかった理由は……。

あだ名は「スポンジ」

「ティーン誌モデルのイメージが強すぎたようです。初めて撮影に行ったら“敬語使えるの?”と驚かれて。読者のみなさんからは“CanCamにふさわしくないから出ないで”と言われました」

 スタッフにも読者にも“読者モデルあがり”と見られたが、挫けることはなかった。

「私には選択肢がなく、前に進むしかなかったですし、何を言われても素直に受け止めました」

 撮影に呼ばれない時期は、普通のアルバイトもした。

「ほかの雑誌にも“顔見せ”に行ったのですが“そんな太い二の腕でよく来れたね”って言われたり。周りのモデルさんは、それまで見たこともないぐらい細かったので、私も小さいデニムをはいてお腹を引っ込めたり(笑)。それでも大きな企画には呼ばれず、私は専属モデルどころか、ずっと“お試し”が続きました」

 撮影でのメイクはプロのヘアメイクにお任せするのが普通だが、自前でつけまつげを持っていったことも。

'98年に撮影で海外に行った押切。日焼けしないように気をつけていた
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「ある雑誌に出たとき、顔立ちのはっきりしたモデルさんが多くて、みんな白アイシャドウをしてもパキッとしているんです。それに比べて私は顔が薄い。白アイシャドウを塗ったら埋まっちゃう(笑)。すごくコンプレックスで、つけまつげを持っていったら大笑いされました」

 カリスマ“読モ”出身という、ほかのモデルとは違うキャリアで戸惑いながらも、やれることは必死でやった。

「そういう経験をしたのは私だけだから、一歩一歩を大切にできた。もし苦労なく出ていたら、もういいやって思ったかもしれない。有名になりたいとかじゃなく、目の前の人が喜んでくれることが大切で、本当にそれだけ。いろんな意見を聞いて、柔軟に取り入れて。とにかく吸収しようとしていたので、スポンジって呼ばれてました(笑)」

 そんな努力もあって、気づけば『CanCam』の看板モデルに。押切が誌面で着た服は飛ぶように売れた。