「タイミングもよかったんです。モデルさんたちも団結して“とにかくいいページを作ろうね”という意識でやっていた。そうしているうちに雑誌を読んでくれる人たちも増えていったような感覚です」
女性ファッション誌といえば、よく耳にするのがモデル同士のいざこざだが……。
「レコード大賞」司会の思い出
「そういうのは全然なくって。本当にいい意味で、切磋琢磨していました。ワガママばかり言っていたら続かない。また会いたいとか、やりやすいとか、そういったことも重要ですし。山田優ちゃんや蛯原友里ちゃんも、撮影が終わったらご飯を食べに行ったりして、仲よかったですよ。今も会ったりします」
雑誌も好調で分厚くなり、撮影も増えた。一方でモデルたちは多忙を極めた。
「『CanCam』の撮影だけで月20日くらい。休みは1~2日。当時の撮影はフィルムで、後で修正できないから、花粉のシーズンはドキドキでした。目が赤くならないように気をつけていましたね」
多くのアパレルブランドも押切に期待するようになっていった。
「タイアップのときはメーカーの方たちの気持ちに寄り添って真剣に撮影をしました。売れるかどうか自信がないという商品を相談されると、燃えましたね。“おかげで売れました”と聞くと、私でも役に立てたんだって、すごくうれしかった」
雑誌から飛び出し、テレビにも出演するように。
「当時のテレビでは反省だらけです(笑)。辛口な発言をしてくださいと言われて、頑張ってやったり。でも、私は不器用だからコツコツやっていくしかなかったんです」
'06年には、蛯原とともにTBS系『日本レコード大賞』の司会にも抜擢された。
「祖母が山形から会場に来てくれて。氷川きよしさんのファンで、みんなで一緒に写真を撮らせてもらいました。祖母は亡くなりましたが、そのときの写真をずっと飾っていたのを見て、本当によかったと思いました」
'07年には『CanCam』のお姉さん版『AneCan』が登場。同誌は、押切ありきの創刊といわれた。'16年に押切が結婚して、同年に『AneCan』モデルを卒業すると、雑誌も休刊した。
「今は育児と家事や旦那さんのサポートがメインですが、素直な気持ちで、年齢とかのせいにしないで、これからもできることはやっていけたらいいなと思っています」
ブームの先頭に立ってきた彼女の次なるステージも見届けたい!
【撮影協力/『天現寺カフェ』東京都港区南麻布4-12-2 tengenjicafe.jp】