80年代、清里は、明るく軽薄でチープな建物やキャラクターが並ぶ街だった。
しかし時代の流れとともに、それらは消え去り、忘れ去られていく。清里はバブル的な人気が出て、そしてそのまま一気に衰退した。だから当時の様子が奇跡的に残っている。
まるで、ヴェスヴィオの大噴火で地中に埋もれたポンペイ遺跡から発掘されたローマ帝国の都市のようだ。
人類滅亡後の世界を歩いているような気持ち
少し霧がかった無人の街を歩いていると、人類滅亡後の世界を歩いているような気持ちになってきた。
かつて、清里は同じく避暑地である軽井沢と並び称されることが多かった。
同じく若者が大挙して押しかけ、タレントショップができる町だった。とくに旧軽井沢のメインストリートなどが清里と近しい風情だった。だが、軽井沢はバブル崩壊後、上手に元の姿に戻っていった。いまも賑わっており、老舗ホテルや画廊、高級ベーカリーやおしゃれなレストラン、ジャムやチーズ、ソーセージなどの商店が立ち並ぶ。大人が楽しめる、ちょっとセレブな避暑地、リゾート地としての活気を取り戻している。
実は清里も、東京都内からの距離は、軽井沢とほとんど変わらない。唯一、リゾート地として軽井沢に勝てないポイントがあるとしたら、温泉施設がない点だろうか。なにしろ軽井沢は温泉が出る。あの星野リゾートを生み出した『星野温泉』があるのだ。そりゃあイメージ抜群だろう。
リゾート地にとって、イメージはとにかく大事なのだ。ひょっとするとバブルがはじけ“負け組”“廃墟の町”とレッテルが貼られてしまったことこそが、清里の最大の敗因かもしれない。
駅前には清里の街の歴史が年表となって掲げられていた。1875年に清里村が誕生。1945年日本アメフトの父ポール・ラッシュ博士が清里を開拓。1972年鉄道の無煙化。そんなかなり細かいできごとまでが書かれているのに、バブル時期のことは一切触れていなかった。あのバブル時代のできごとは、清里にとって黒歴史なのかも。