“公共”放送の意味とは
ニュースでは、現場にいたNHKの女性記者が撮影した映像が繰り返し流れました。記者自身も動転して声がうわずり、明らかにパニック状態だったことがうかがえます。
それを踏まえると、報道関係者が未成年の心理状態をケアすることにまで頭が回らなかった可能性も考えられる。記者の矜持(きょうじ)として、事件の細部にいたるまで視聴者に伝えなければならないとの使命感にかられていたことも想像できます。
それでも今回のNHKは暴走気味でした。女子高生の顔出しインタビュー以外にも、血を流した安倍元総理が処置を受ける場面や、ブルーシートに覆われてドクターヘリに運ばれたところから病院に到着するまでを“実況中継”する有様。重大事件であることの興奮を隠しきれないといった雰囲気すら漂っていました。
もちろん、国家の危機ですし、特別な態勢でのぞむ事情も理解できます。けれども、そうした中にも然るべきところでは抑制を効かせてほしかったのが正直なところです。NHKと比較すると、TBSの井上貴博アナとホラン千秋キャスターが、努めて通常モードを意識していたことが際立っていました。
話を女子高生に戻しましょう。今回は容疑者が確保されていたからよかった。しかし、もしこれが逃走している最中に彼女たちの顔が割れるような映像を流していたらと考えると、心底ゾッとします。
テレビを観た犯人が、口封じにやって来る可能性だってあるからです。事件の目撃者へのインタビューは、常にその危険をはらんでいるのですね。
だから、批判を承知で言えば、“笑顔を見せるな”だの、“〜してはるなんてふざけてんのか”だののネット炎上で済んでよかった。仮にトラウマを負っていたとしても、彼女たちは生きて治療を受けられるからです。
しかし、捜査の状況次第では、一歩間違えればそのチャンスさえ潰(つい)えていたのかもしれません。不作為とはいえ、重大事件に関して未成年の情報が不特定多数に伝わってしまう状況を作ってしまったことは、致命的なミスです。
いま一度、“公共”放送の意味について考えさせられる事件でもありました。
<文/石黒隆之>
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。
『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。
『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。
いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。
Twitter: @TakayukiIshigu4