「園から港が近いこともあり、当時もイワシだけはなんとか手に入ったようです。さつまいもやにんじんが好物だったゾウには、おからやかぼちゃを与えてしのいでいました。まったくエサを与えない“絶食日”も設けられました」

 ゾウ1頭だけで、通常は1日あたり100キログラム以上のエサを必要とするが、もちろん賄えるはずもない。1942年の冬には、人気者だったアジアゾウのオス、ランプールと常盤の2頭が相次いで死んでしまった。

殺処分を回避するために試行錯誤

「食べるものがないのはもちろん、燃料不足でゾウの園舎を暖めてあげることができず、寒いなかでどんどん弱っていきました。最後は立つことすらできなくなり、飼育員たちがクレーンのようなもので支え、なんとか立たせてあげようとしたそうです」

 そんななか、とうとう「戦時猛獣処分」が実施されることに。「肉食動物や大型動物を処分せよ」という、軍からの命令だ。終戦2年前の、1943年のことだった。

 太平洋戦争中に殺処分された動物として広く知られているのは、童話『かわいそうなぞう』に登場する、上野動物園のゾウたちだろう。軍から猛獣処分の命令が下ったものの、賢いゾウたちは毒入りのエサを食べようとしなかった。

 最終的に餓死してしまうが、物語ではゾウたちを見守る飼育員らの苦しく悲しい心情が描かれている。この童話は、児童文学作家の土家由岐雄氏が実話に基づいて創作し、1951年に初めて発表された。その後、1970年代から'80年代にかけて小学校の国語の教科書にも掲載され、誰もが知る物語となる。

「天王寺動物園でも、殺処分されたメスのヒョウの話がずっと語り継がれています。今は亡き飼育員の原春治さんを、親のように慕っていた利口なヒョウです」

企画展『戦時中の動物園~私たちに今、できること~』は8月28日まで開催されている
企画展『戦時中の動物園~私たちに今、できること~』は8月28日まで開催されている
【写真】軍からの命令で絞殺されてしまったヒョウと、可愛がっていた飼育員

 飼育員の原さんは、親のヒョウが育てられなかった赤ちゃんのヒョウを、ずっと大切に育ててきた。原さんと子ヒョウの間には、深い絆があった。この物語は、天王寺動物園が製作した紙芝居『どうぶつたちのねがい』や、絵本『きえないヒョウのつめあと』などで今も知ることができる。

 戦争が長引くなか発令された「猛獣処分」について、紙芝居では「おそろしい命令が来ました」と表現している。

「命令が下った各地の動物園では、なんとか殺処分を回避できないか、いろいろと試行錯誤したと聞いています

 にもかかわらず、とうとう最初の猛獣処分が1943年の8月に上野動物園で実行されてしまった。

「天王寺動物園の園長は、地方の園にヒョウやほかの動物たちを移送して守ろうとしました。でも、私たちの園だけ特別扱いするのは許されなかったのです」