「ディスコには不良っぽい人もいればイケイケのお姉ちゃんもいたりと本当にいろいろな人が集まっていて、その誰もがDJの音楽で踊り、盛り上がってた。それを見た瞬間
“なんてカッコいいんだ!”と思い、DJの道を目指そうと決めた。19歳のときでした」


 まずはDJ見習いからスタート。給料はなく、仕事は夜から朝まで続く。ディスコの華やかなイメージとは相反し、「まるで落語家の修業のようでしたね(笑)」と振り返る。

家族とのルーティンとは

でも見習いからDJとしてレコードを回せるセカンドのポジションになったとき、初月給が12万円もらえたんです。当時の12万円はある程度の大学を出た人が初任給にもらう額。これなら両親にも認めてもらえるかもしれないと思い、そこで初めて“DJとしてやっていきたい”と伝えました」

 DJという言葉はまだ世間一般には浸透しておらず、活躍の場も限られていた時代。DJだけで暮らしていくのは難しく、清掃業のアルバイトをしてしのいでいた時期もあった。そんな彼を支えたのが、妻の「あなたが好きなことをやりなさい。あなたがいいと思ってやったことに私はついていくから」という言葉。

「お金に関して何か言われることは一切なかった。食えないときはきっと不安もあっただろうし、こっそり妻の実家に用立ててもらうようなこともあったのではないかと思います。本当に感謝ですよね。もう頭が上がらないですよ」

 DJ KOOといえば恐妻家として知られるが、その言動は夫婦の強い絆と揺るぎない信頼関係があってこそ。

60歳を越えて、なおさまざまなことに挑戦し続けるDJKOO。大病を克服したことが人生のターニングポイントになったという
60歳を越えて、なおさまざまなことに挑戦し続けるDJKOO。大病を克服したことが人生のターニングポイントになったという
【写真】「10歳若くなる!」DJ KOOのルーティンが紹介された著書

家に帰るとまず食卓につき、奥さんの話を聞く、というのが僕のルーティン。今日はお腹が減ったから肉を最初に食べようと思っても、奥さんが“美味しそうな湯葉があったから買ってみたの”と言ったら、まず湯葉に箸を伸ばす(笑)。気を使っているわけではなくて、やっぱり奥さんは常に正しいんですよね。

 奥さんは僕の健康を考えていつも身体にいい料理を何品も作ってくれて、この食材がいいと聞けば早速食卓に並んでいたりする。僕が元気でいられるのは奥さんのおかげ。だから彼女の言うとおりにしていれば間違いがないと思っています」

 DJ KOOにとって優先すべきはまず家族で、著書にも妻子とのルーティンが多く登場する。例えば“夕飯は自宅で家族と食べる”“夜は家族全員同じ部屋で寝る”など。

「夕食は基本的に家に帰って食べるようにしているので、家族もなるべく僕のタイミングに合わせてくれるし、遅くなった日は僕が食べているあいだは奥さんと娘が必ず一緒にリビングにいてくれます。

 娘はもう22歳なので、同じ部屋で寝るのは珍しいかもしれないですね。娘の部屋はちゃんとあるけれど、そこは勉強部屋になっていて、寝るとき同じ部屋に集まる感じ。もし娘が結婚したら……、まだまだ考えられないです。とにかく親バカで、いまだに子離れできないんです(笑)