人見知りの“チャンピオン”

「僕は、もともとの性格はすごい人見知り。めっちゃ緊張して、前日は一睡もできひんかったくらい」

 にわかには信じられないが、兄を間近で見続けてきた弟・大毅が証言する。

「僕らがまだ小学生のとき、地元の町の人が仕切る2泊3日の旅行に兄と2人で参加したことがある。隣の学校の子などもいる中で、兄はごはんも食べず、ひと言も喋(しゃべ)らず、端っこで体育座りをしていた。家に帰ってきたら、泣いて親父に飛びついていた」

 大毅が続ける。

「兄は、小学校4年生のとき空手のチャンピオンになりました。それで自信がついたのか、ようやく人と喋れるようになっていった」

大毅と興毅。子どものころからずっと一緒だ
大毅と興毅。子どものころからずっと一緒だ
【写真】幼少期のかわいらしい亀田3兄弟

 人前は苦手。いかに物怖(お)じせずに記者会見をするか。ここでも名伯楽・史郎さんのアイデアが冴(さ)えわたる。なんと質問を想定して、事前に記者会見をシミュレーションしたというのだ。

「親父は、『普通の言葉を並べたところで、面白い見出しはつかない』と。スポーツ新聞の格闘技欄でボクシングは埋もれがちです。まじめな人間よりも嫌われた人間のほうが、早く世の中に知られる。ヒールでいかなあかんって」

 まだ17歳の少年。決断に迷いはなかったのか?

「怖いもの知らずだったんでしょうね。あのときは世間というものをわかってなかった。でも……今それをやれって言われたら、もっとうまく立ち回れたと思いますね。もっといいプロデュースができる」

 時折ファウンダーの顔になって、ニヤリと笑う。

 亀田旋風──と言っていいだろう。'06年8月2日に行われた、自身初の世界戦であるファン・ランダエタとの一戦は、驚愕(きょうがく)の42.4%(瞬間最高は52.9%)という視聴率をマークした。賛否が渦巻く亀田兄弟の試合は、衆目を集めるドル箱マッチとなり、ボクシングを見ない層にまで浸透していく。ビッグマウスと派手な言動に対して、『スーパーモーニング』(テレビ朝日系)でやくみつる氏が史郎さんに噛(か)みついたのもこのころだ。

 だが、「家族思いの素直でまっすぐな少年。リング上やテレビでのパフォーマンスとはまったく逆のイメージで、礼儀正しい好青年というイメージでした」

 と、初めて興毅と会ったときの印象を振り返るのは、T-BOLANの森友嵐士さん。ランダエタとの世界戦で国歌斉唱を務めるなど、亀田家と公私にわたって交流を持つ。

メディアに取り上げられ始めたころの一家の集合写真。中央は亀田家の紅一点、姫月さん
メディアに取り上げられ始めたころの一家の集合写真。中央は亀田家の紅一点、姫月さん

「史郎ちゃんが、僕に国歌独唱をお願いしたとき、三兄弟全員手を合わせてまぶたを閉じて、お願いのポーズで僕の返事を待ってました。20歳に満たない少年が世界チャンピオン戦のステージに上がる。引き受けたいと思ってしまいました」(森友さん)

 そのころ森友さんは、'99年に心因性発声障害が判明し、思うように歌えない状態にあった。その影響もあって、T-BOLANは同年12月に一度解散した。

「歌えるかどうかもわからない俺の声をこんなにも必要としてくれている。まだ、歌声を取り戻せていない時期で、不安もありました。ですが、彼らの強い思いは、真逆なものさえ動かすチカラがあります。本気だからでしょうね」(森友さん)