ルールの中で業界を変えていく
大阪市西成区に、興毅が会長を務めるボクシングジム「KWORLD3」はある。'21年3月、もともとは「3150ファイトクラブ」という名で開設したジムである。
空白の2年間、興毅は現役時代からつながりのあるさまざまな業種の人間と、異種格闘技戦さながらに交流を重ねた。
「ボクシング業界では年間約200回の興行があります。その売り上げと、月謝などのジム事業を合わせても年間100億に届かない市場です。交流を重ねていくと、目からウロコの話ばかりで、ボクシング市場はなんて停滞している業界なんだろうと感じた」
徐々に実業家・亀田興毅へと変身していく中で、再びボクシングの火を灯(とも)す決定打となったのは、「コロナ禍でした」。そう興毅は振り返る。
「資金力に乏しいジムは、コロナの影響が直撃し試合ができず、その結果、引退を選ぶボクサーの数が増えていた。ボクサーが活躍できる場を作らなあかんと思いました。
正式にクラブオーナーライセンスを取得し、JBCの一員としてスタートすればいい」
煮え湯を飲まされたであろう因縁の相手の懐に飛び込む。「ルールの中でどうやったらボクシング業界を変えることができるか」。駆け引きをしつつ、防御を固め、興毅は「改革」の一撃を放つために、動き出した。弟の大毅も、兄を手伝うことを申し出た。これに興毅は驚いたと明かす。
「自分から何かをしたいと言い出すタイプではなかったし、大毅はボクシングも2階級制覇をしたくらいからやっと好きになっていったから」
ようやく好きになれたボクシング。だが、国内追放となり、追い打ちをかけるように、大毅は左目に網膜剥離が見つかる。思うような動きはできず、大毅も興毅を追うように引退を宣言した。もっともボクサーとして脂が乗っていただろう時期に、突然、ボクシングから別れを告げられた。未練がない──わけがない。
「すごいボクサーたちがいることを全国の人に知ってもらうための舞台を作りたい。それを支援してくれる方を見つけて、説明して、スポンサー営業をする」(大毅)
その姿に、興毅は「地方のジムや企業さんに、僕らが目指すものを、直接コツコツと説明してますね。大毅はスーパー営業マンですよ」と太鼓判を押す。