目次
Page 1
ー 関口被告による暴行の経緯
Page 2
ー あの日一体何があったのか
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ー 関口被告が現場に戻った理由

 新宿・歌舞伎町の「トー横」で、21年11月、知り合った男性の氏家彰さん(当時、43)を暴行し死亡させた事件で、傷害致死の罪に問われていた無職、関口寿喜被告(27)の裁判員裁判で、東京地方裁判所(平出喜一裁判長)は10月7日、求刑通り懲役10年の判決を言い渡した。関口被告は、友人である氏家さんを「助けよう」と思っていたのに、なぜ、死に至るまでの暴行に加わったのか。

関口被告による暴行の経緯

 関口被告はグレーのスーツと白いシャツ、青のネクタイを身につけ、判決公判に臨んだ。

 判決によると、21年11月ごろ、関口被告や共犯者、氏家さんらは新宿歌舞伎町の「トー横」と呼ばれるエリアに出入りしていた。同月27日、関口被告と共犯者らと、新宿区歌舞伎町の雑居ビル『星座館ビル』の屋上で、被害者に暴行を加えた。

 関口被告は当初、氏家さんと『木更津グループ』との間でのトラブルを解決しようとした。しかし、氏家さんが勝手に関口被告の名前を利用したとして腹を立てて暴行。また、自らも暴行を加えなければ、共犯者との関係が悪化すると思い、暴行を加えた。一連の暴行によって大けがを負わせ、死亡させた。

 トー横とは、狭い意味では、新宿・歌舞伎町にある『TOHOシネマズ』の横の路地を指していた。コロナ禍には、その路地には多くの未成年者が集まった。その未成年者たちは『トー横キッズ』もしくは『トー横界隈』と呼ばれるように。しかし、事件や自殺が相次いだことで、警察は補導を強化した結果、未成年たちは、『歌舞伎町シネシティ広場』(広場)に移動し、現在はこの「広場」もトー横と呼ばれている。