私も毒親になるかも不安とともに出産へ
ようやく毒親と縁を切る決意をした詩織さん。だが結婚10年目に、母親の存在が詩織さんに再び影を落とした。
「39歳のときに夫婦で話し合って不妊治療をすることにしたんです。会社を辞め、退職金を治療費に充てて期限を1年間と決めました」
すると8か月後に妊娠。念願が叶(かな)ったはずなのに、次第に詩織さんの心が沈んでいったという。
「毒親に育てられた私が、ちゃんと子育てができるのか。母親と同じように子どもを苦しめるんじゃないかって。不安が始終つきまとい、誰にも打ち明けられず、ひとりで悶々(もんもん)と悩んでいました」
夫は子どもの誕生を心待ちにしていた。喜びと苦しみが同居していることを隠し続ける自分は、夫を裏切っているのではないか。しかしそんな気持ちは子どもを抱いたときに消え去ったという。
「娘が可愛くて可愛くて……。妊娠中に感じていた恐れが歓喜に変わりました。“私の宝物!”と娘を抱きしめながら、苦しみを乗り越えられたことを神様に感謝したんです」
父に電話で報告すると「孫の顔を見たい」と懇願された。そこで詩織さんは10年ぶりに帰省を決意。父も兄も兄嫁も、兄の子どもたちも詩織さんの小さな娘を歓待したが、母だけが冷淡だった。孫の顔を見ると、母も変わるのではないかという一縷(いちる)の望みも泡と消えてしまったのだ。
「母は私の娘を抱こうともしません。しかも“実家に帰ってくるのなら、お土産ぐらい持ってくるものでしょう、相変わらず気が利かないね”となじるんです。“おめでとう”の言葉もありませんでした」
兄の子どもたちばかり可愛がる母に、詩織さんはまたもや傷つき絶望した。そして、「娘を実家に連れていくのは最初で最後」と誓ったという。
しかし数年後に病弱だった父親が脳梗塞で倒れると、詩織さんは子育てのかたわら実家に帰省して父を看病せざるをえなくなった。
「それでも母親は私の娘を抱こうとしませんでした。それどころか、父親の入院費が足りないと言っては、お金を無心してくるんです。兄も兄嫁も母親の言葉を無視していたので、父親の入院費を私の貯金から支払いました。
そのころ私はバイト程度の仕事しかしていなかったので、貯金を取り崩すのに抵抗がありました。そんな私を見兼ねたように、兄嫁が“もう出さなくていい”と実情を教えてくれました。それは絶句するようなことでした──」
兄嫁によると、父親が詩織さんの娘のために貯金していた預金があったという。それを母親は父が脳梗塞で倒れてから無断で勝手に解約したというのだ。そして「看病で疲れたから」と、父親の介護を付き添い人に任せ、温泉旅行をするなどやりたい放題なのだという。
「とうとう私もキレてしまいました。実家に行く気がなくなった私は、兄嫁に頼んで父親の様子を随時知らせてもらうことにしたんです」
だが父親の病状が悪化するたびに、心配のあまり見舞いに行ってしまう詩織さん。母とはなるべく顔を合わせないようにしていたが、もし顔を合わせてしまったらと思うだけで苦しかった。しかし、詩織さんに新たな“光明”が差すきっかけが訪れる。
「娘が小学校に入学すると、登録していた求人会社からヘッドハンティングされたんです。マーケット会社で培ったスキルや経験を活(い)かして業務委託として週2回、企業と契約をして月20万円の収入を得て、子育てと両立しています」
母親との関係に悩む中、詩織さんは心理カウンセラーに相談していた。その心理カウンセラーから、新しく仕事を始めたときに母親のことをこう指摘されていたという。
「お母さんはあなたに嫉妬しているのでしょう。高学歴で専門性を活かした仕事をし、不妊治療で子どもも授かった。願いが全部叶ったあなたが羨(うらや)ましいのです」
なるほどと詩織さんは少し納得できたという。しかし、そうだとしても“いまさら”だ。母に期待するものは何もない。だが父親が母より早く他界したら、母の介護が自分に回ってくるのではないか。兄嫁が「義母を世話しない」と口にするたびに、詩織さんは新たな不安に襲われている。
〈取材・文/夏目かをる〉