新しい自分を“全力”で生きていく
がんになったからできることが、いまの笠井さんにはたくさんある。がん情報サイト『オンコロ』では、がんをテーマにさまざまな切り口でゲストにインタビューをする『笠井信輔のこんなの聞いてもいいですか』を配信中。
入院患者がネットにアクセスできる環境整備を推進するために立ち上げた『#病室WiFi協議会』の活動は、国を動かした。コロナ禍での短期的な措置ではあったものの、入院病棟のWi-Fi設置工事に補助金がついた。
「病室で無料Wi-Fiが使える病院はまだ3割強ですが、確実に増えています。先日も厚労省に行って、補助金の復活をお願いしてきました。日本のすべての病院で、入院患者がSNSや動画にアクセスできることを目指して、今後も積極的に活動していきますよ」
得意な映画の分野でも予告編のナレーションに初挑戦。その公開中の映画『愛する人に伝える言葉』は、くしくもがんにまつわる家族の物語。
「親子の闘病を描いた映画は山ほどあるけれども、この映画のとてつもなく深いところは、主治医を演じているのが本物のがん専門医であること。フィクションなのに、引き込まれたのは現実の世界そのものでした。人生の終点までどう生きればいいのか、見る人それぞれに“気づき”を与えてくれる映画だと思います」
母親役のカトリーヌ・ドヌーヴが、医師の言葉を理解するシーンがある。末期がんの息子のために「全力を尽くしていない」と吐露する母親に医師が告げたのは、「全力と過剰は違います」という言葉。
「まるで自分が諭されているようでした。がんになる前は、常に130%で臨むのが自分のスタイルだった。それは全力を尽くしていたわけではなかったんですよね。がんになったことで、僕もこの映画の主人公たちのように自分や家族に余計な負荷をかけない生き方を選びたい。“新しい笠井信輔”は、それができる夫であり、父親でありたいと思っています」
シネマトークは笠井さんの真骨頂。話はどんどん熱くなる。体調が良いからこそ、最近は「ついつい過剰に頑張りそうになる」と苦笑する。
でも、そんなときはますみさんがしっかり手綱を引いてくれる。「ほらほら、また元の笠井信輔に戻るの?」と。
〈取材・文/伴田 薫(はんだ・かおる)●ノンフィクションライター。人物、プロジェクトを中心に取材・執筆。『炎を見ろ 赤き城の伝説』が中3国語教科書(光村図書・平成18~23年度)に掲載。著書に『下町ボブスレー 世界へ、終わりなき挑戦』(NHK出版)。