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女優・冨士眞奈美(84)が語る、古今東西つれづれ話。麻雀(マージャン)仲間との思い出を振り返る。
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俳優座養成所時代、私は麻雀に夢中になった。
「天国」と「地獄」という雀荘
深い理由はなく、ただただ面白かっただけ。「一日一雀」をスローガンに、養成所の仲間たちと卓を囲んでいた。
俳優座養成所は、今も昔も六本木4丁目にある。その近くに、「天国」と「地獄」という雀荘があった。
アマンド横の坂を下ってすぐ右側に「地獄」が。そこから、またしばらく下りていくと「天国」という雀荘が。「天国と地獄」じゃないの。「天国」と「地獄」、それぞれあるから笑っちゃう。
今日は「天国」に行こうかしら、それとも「地獄」に行こうかしら──。そんな調子で、私たちはよく麻雀に興じていた。
特に、同期の石崎二郎さん(佐分利信さんのご子息)は大の麻雀好きだった。彼は、暇を見つけては麻雀ばかりしていたから、ついたあだ名が「ロン」。私たちは親しみを込めて「ロンちゃん」と呼んでいた。
同期の柳生博は、カードゲームのラミーが好きだったから「ラミー」と呼ばれていた。今考えると、まるで『太陽にほえろ!』の登場人物みたいよね(笑)。ちなみに、私は普通に「眞奈美」と呼ばれていた。
同期には、プロレタリア文学の大家でもある中野重治さんの一人娘、卯女(うめ)ちゃんもいた。うめちゃんは、私のことをずっと本名の「岩崎さん」って呼んでいたまじめな人だった。