アメリカに長期滞在から結婚へ
けれども、実際にその目で見たアメリカに魅了された綾戸は、その後も貯金をしては渡米を繰り返した。そして、20代後半からはニューヨークに長期滞在することに。
「そのときも長く滞在しようとは思ってなかったです。もうちょっと見たい、と思ううちに長くなっただけ。それで年頃やしね、30歳のときに向こうで結婚しました」
夫はアフリカ系のアメリカ人だった。33歳のときに長男を出産するも、ほどなく離婚し、帰国することとなる。
「飛行機の座席の前に息子を乗せたカゴを置いてたから、生後7か月か8か月くらいやったと思う。そのときは必死やから、“この大きな波を乗り越えよう”と思って帰ってきました」
家族を食べさせるため、帰国後は英語教師や給食の調理員など、さまざまな職を経験した。その中のひとつがジャズシンガーだった。
「アルバイトでライブハウスで歌うと、“チーボー(当時の通称)が出るとお客さんがいっぱい来るわ”ってオーナーにもかわいがってもらいました。そんな中で、40歳のときに野外のイベントで歌ったら、偉い人に“すごいね、うまいね”ってたくさん言われたんを覚えてます」
そのイベントで、ジャズ愛好家の内田修氏に見いだされ、40歳にして遅咲きのデビューを果たしたのだった。
デビュー後は、その明るいキャラクターや、小さな身体から弾け出すようなパワフルな歌声が人気を集め、ジャズシンガーや映画のコメンテーターとして幅広く活躍。芸能の世界へと突如足を踏み入れたわけだが、そこでも浮足立つことはなかった。
「仕事を取ってくる会社がプロフェッショナルやったから、怖い目にもあわんとできたんとちゃいますか。私はコマやから、どないしてやるかわかりませんやん(笑)」