日本のカントリードール
日本にも早くからカントリードールは「入国」していたと言われています。
そもそも日本でも、こけしや木彫人形など、人形はつくられていました。あるいは折り紙で作ったり、石に顔を描いたり。昔の日本人も、工夫を凝らして、貧しい暮らしのなかで人形が作られていたのです。
欧米のプリミティブドール/ラグドールが、日本ではカントリードールと呼ばれるようになったのは、カントリーインテリアが日本に普及したのと同時期だからかもしれません。
カントリーインテリアとは、自然素材を取り入れ、古いものを慈しむ暮らしです。日本には、1991年に『私のカントリー』という雑誌が登場し、一気に大ブームとなりました。
「大草原の小さな家」や「赤毛のアン」の住まいが、カントリーインテリアの典型と言われます。最近では、ターシャ・テューダーの暮らしも新しいアイコンとして知られています。
一番有名なカントリードール、アンとアンディ
日本で最初に知られるようになったカントリードールは、「アンとアンディ」です。絵本作家であるジョニー・グルエルの絵本シリーズに登場するキャラクターで、毛糸の赤毛と赤い三角の鼻が特徴。
この「アンとアンディ」は、原作者が屋根裏部屋で自分の母親の布人形を見つけ、消えかけた顔に書き入れ、ハート型のキャンディを心臓として縫い込み、娘のマルセラにプレゼントすることから、物語が始まります。
その人形は、「ラガディアン」と名付けられます。ラガディとはボロボロの、とか朽ち果てたという意味。つまりラガディアンとは、「ボロ布のアン」という意味です。
病弱なマルセラにとって、ラガディアンは大切な友達でした。原作者のグルエルは、娘のために、ラガディアンが活躍する物語を聞かせてあげます。その物語がのちに、絵本となったのです。
マルセラは13歳で亡くなったそうです。娘の死後、グルエルは悲しみのなか、絵本「ラガディ・アン・ストーリーズ」を生み出します。この絵本は大ブームとなり、世界じゅうでラガディアンは愛されるようになりました。