美空ひばりさんとも通ずる“わが子への愛情”
ちなみに、聖子は1997年に『私だけの天使~Angel~』というシングルをリリース。自らの作詞で「世界にひとつの輝く宝物」である娘を命がけで「守ってゆくわ」という思いを歌った。
その3年後には、歌番組でラルク アン シエルと共演するにあたって、娘から「シェルじゃないよ、シエルよ」と教えられた微笑ましい話も明かしていた。デビュー後の娘とは確執も伝えられたが、むしろそれだけに先立たれたショックは深いだろう。
今年11月のイベントでは、娘の話をしながら泣き崩れる場面もあった。その数日後『紅白』の出場者が発表されたが、彼女の名前はなし。大舞台で歌えるほどには、まだ立ち直れてはいないのかもしれない。
ここで思い出されるのは、美空ひばりさんのことだ。彼女は弟に先立たれ、その忘れ形見を養子にした。重病を押して歌い続けたのは、10代にしてひばりプロダクションの社長となった息子の行く末を案じてのことだ。
どんなスターであっても、わが子への愛情は変わらない。ただ、ひばりは命と引き換えるようにして『川の流れのように』という傑作をひとつ残すことで、スターのまま去った。聖子にもこの悲劇をなんらかの糧にしてほしい、という期待を抱いてしまう。
もちろん、最近は、スターも人間なのだ、という方向に世間の感覚が変わりつつあり、聖子が活動をセーブしたままでも逆風が吹くことはないだろう。しかし、そんな時代だからこそ、彼女くらいはスターであり続け、その凄みを見せつけてほしいとも思うのである。実際、活動再開となった4月のライブでは、
「これからも、歌うことが好きだった沙也加と一緒に歌ってまいります」
と語った。
そのためにどんな活動を目指していけばいいのか。聖子自身、スターと生身の人間の間で葛藤しているのかもしれない。