巨匠・名優に出会い、走り出した役者人生
いくつもの“出会い”が寺田さんの役者人生の道導(みちしるべ)になる。21歳のとき。文学座のアトリエ公演を見に来ていたTBSの演出家・久世光彦(てるひこ)さんから紹介されたのが実相寺昭雄監督だった。
26歳にして“鬼才ディレクター”といわれていた実相寺監督は、自身が担当するTBSのドラマの次回作に出演する若い役者を探していた。そのために久世さんが寺田を引き合わせた。すると、なぜか、ウマが合った。
「赤坂にあった寺田さんのアパートに、実相寺さんは友達を連れて毎日遊びに行ってましたね」(前出・中堀さん)
そして'64年にスタートしたドラマ『でっかく生きろ!』の収録で寺田は、“光と影”を操る実相寺監督の映像世界を垣間見る。演出も尋常ではなかった。
「あと2センチ前に出て、まばたきしないで、息も止めてって……。レントゲン撮ってんじゃないんだからさ(笑)。でも、そこに文句を言う役者をジッソーは嫌うの」
撮影現場をよく知る中堀さんも、こう述べる。
「実相寺さんにとって役者は動く小道具なんです。撮影中、小道具は自分勝手に動いちゃいけなかった」
それでも番組では好き放題やれた。寺田、実相寺監督、そして共演の古今亭志ん朝さんの3人は、毎晩のようにつるんで飲み歩く。しかし、楽しい毎日は続かない。ドラマは不評で実相寺監督は途中降板。その決定に最後まで抵抗した寺田も、8年間TBSに出入り禁止になった。
「ジッソーとは顔を合わせるたびに、お互いに知り合った不幸を嘆き合ったもんだよ」
この一件で実相寺監督はTBS映画部に異動し、特撮映画の道へ。すでに新進気鋭の役者として人気が出始めていた寺田は、日本テレビから声をかけられ'65年、石原慎太郎の小説を東宝がドラマ化した『青春とはなんだ』に不良学生役で出演。次作『これが青春だ』('66年)にも起用され、自身の人気にますます拍車がかかることになった。
「大ファンです、サインくださいって、ノートの切れっ端みたいなのを出すおばさんがいっぱいいた。オレはテキトーにサインしてたんだけれども、後に三浦友和さんと共演したときに、“ウチのおばあちゃんが寺田さんにサインをいただいて神棚に飾ってあります”って言われて驚いちゃってさ。それからは、どんな切れっ端でもワタクシはちゃんと心を込めてサインをするようになりました(笑)」
そして、東宝映画のエース監督・岡本喜八さんとの出会い。'68年公開の『肉弾』で、寺田は主役に大抜擢(ばってき)。実は、前年に軍部の終戦を描いて大ヒットした『日本のいちばん長い日』のキャスティングから、岡本監督は寺田に目をつけていた。
「扮装(ふんそう)テストというのに呼ばれて、軍服姿で写真撮影していると、やたらオレの身体をベタベタ触ってくるから、心の中で“このカントク、オネーサンかよ?”って思っていたら、オレのヤセ具合を確かめていたんだね」
しかし、撮影日程が劇団の公演と重なり、出演は見送り。満を持して起用された『肉弾』でも、思わぬ問題が生じた。主人公の「あいつ」は丸刈りの兵隊。放送中の青春ドラマでコーチの役を演じていた寺田の髪型が突然変われば、話がおかしくなる。だが、
「ドラマの台本が書き換えられてね。いつの間にかコーチがしくじってアタマを丸めるシーンが追加されていた。そんないい時代でしたね」
かくして撮影は始まった。『肉弾』は陸軍予備士官学校で終戦を迎えた岡本監督が、自らの体験を投影した作品。魚雷とともに敵艦に突っ込んで散る人生を軍に強いられた「あいつ」は、上官に張り倒され、全裸で砂浜を駆ける。「少女」役の新人・大谷直子とのラブシーンも鮮烈。身体を張った演技で、寺田は毎日映画コンクールの男優主演賞に輝いた。
でも、喜びはなかった。
「戸惑いのほうが大きかった。終戦は3歳のときだから、オレは戦争を知らないの。いくら考えたって、“あいつ”を自分で理解して演じることなんかムリ。受賞は、すべて監督の指示に従って、動く小道具のようにやった結果なんだ」
思い出の写真がある。岡本監督と並んだ笑顔の一枚。
「同じ笑いじゃない。オレは、明日は必ず来ると思って能天気に笑っている。岡本さんのは、明日は来ないかもしれないという笑い。死んでいった多くの戦友のためにも、“今日を大切に生きる”という目だよ。その目に見られながら毎日一緒にいたんだから影響を受けないわけがない。ただね、オレの中では“今日が楽しけりゃいい”という解釈になっちゃうんだな(笑)」
『肉弾』に続き、翌年の『赤毛』でも岡本監督は寺田を起用した。時代は幕末。主演の「赤毛」は三船敏郎さん、寺田が演じる「三次」は江戸前のスリ。撮影は冬のオープンセットで行われた。
「スリの扮装が素足にわらじでさ。寒いし、痛いから、映るときだけ履きゃいいだろってふてくされてふんぞり返っていたら、“そう言わないで、ハイ、履く!”って、誰かがオレにわらじを履かせてくれるんだよ。で、見たら三船さん(笑)。世界のミフネにわらじを履かせてもらった男ってんで、みんなに怒られた」
この年の『キネマ旬報』の助演男優賞を最後まで争ったのが、『黒部の太陽』で石原裕次郎さんの相手役を務めた三船さんと、『赤毛』の寺田だった。
「もちろん三船さんが受賞するんだけれども、獲(と)りたかったね。役者として初めて何かをやろうとしてやったと思えた映画が『赤毛』だった」
岡本作品で、寺田は役者としての存在感を存分に示した。仕事は一気に増える。28歳で結婚もした。そして、“生涯の師匠”と呼べる役者と出会う──。