突発的なことを楽しめるのがラジオ
中でも印象的だった“神回”は……。
「新宿ワシントンホテルが開業するときに、営業企画みたいな感じで“とにかくずっと新宿ワシントンホテル何月何日開業って言えばいいから”と、スイートルームから放送しました。でも、午前3時なので、眠くてテンション下がっちゃって(笑)。別にこれといった企画もなかったので、 どうにもならず……。
そんなとき、外をふっと見たら夜景がキレイだったので、“今、放送を聞いている方は、部屋の電気をつけたり、消したりしてみてくれませんか”って言ってみたら、少し点滅があったんですよね。それで今度は、“こっちの方面を見るから、懐中電灯回してみてくれる?”と言ったら、結構ぐるぐるぐるぐる回ったんですよ。
それで、すごいと思って、やっちゃいけないことなのですが“甲州街道を走っているドライバーさん、パッシングしてみてください”と言ってみたらピカっと光って(笑)。“ごめんなさい! ダメダメ!”なんてことをやって、結局ずっと“男だったら、1回、女だったら2回”“イエスなら1回、ノーなら2回”“中学生は、高校生は~”とやっていたんです。
番組の最後には、オートバイや原付がワシントンホテルの下に集まって、上に向かってライトを照らしていて。現場にいた人間はものすごく興奮して、“おもしろい放送になった”と思いながらニッポン放送に帰ったのですが、スタジオにいたディレクターから“何やってるかよくわかんなかった”って言われ、“そうでもなかったんだな”と……。
でも、次の週にいつもの数倍の量、リスナーからのハガキが届いたんです。“和歌山でも見えた”とか“俺も博多で振ってた”とか。“こんな風にして遊べるのね”という学びがありましたし、“瞬発力でこんなことになるんだな”と驚きました。眠いままだらだらやっていたら、そのまま終わっていたんだと思いますが、逆境をおもしろがって、逆手に取って突発的なことを楽しめるのがラジオなんだなと思いました」
その後も多くの番組を担当した上柳は定年の60歳を迎えたが、ニッポン放送のグループ会社に所属し、アナウンサー業を続けている。いったいなぜ、この選択をしたのか。
「何らかの形でどこかでしゃべりたいとは思っていました。そのとき、ニッポン放送の嘱託になるとか、どこかの事務所に入るとか、選択肢はいろいろあったんですけど、たまたま今所属しているミックスゾーンの前身の会社が“うちでやらない?”と言ってくれたからですね。それと、“そんな理由かい”と怒られてしまいますが、荷物を(ニッポン放送がある)有楽町に置いておけるのもあるかもしれません(笑)。 それに、仕事仲間に恵まれているので、この仲間と一緒にやり続けたいと思ったからですね」
そんな上柳の人生の転機は、現在の担当番組『あさぼらけ』が始まったことだった。