目次
Page 1
ー なぜコニタンが校長先生に?
Page 2
ー 野球に打ち込み教師を目指した学生時代
Page 3
ー 不合格からまさかの欽ちゃんファミリーに
Page 4
ー 初めて聞いた欽ちゃんの怒鳴り声
Page 5
ー がんと闘いあらためて感じた命の大切さ

 

 俳優として芸能界デビューし、萩本欽一さんのバラエティー番組で、コニタンの愛称で一気にブレイクした小西博之さん(63)。しかし、順風満帆な芸能生活を送っていた'04年に体調が悪化しがんが見つかる。さらに、盟友の自殺という悲報も……。そんな人生の節目で小西さんの心を支えたのは、萩本さんの言葉だった。恩師の教え、そして、60代でつかんだというもうひとつの夢とは──。

なぜコニタンが校長先生に?

《なお、小西校長は俳優・タレントとしてテレビや映画でもご活躍されております》

 このアナウンスが流れると、会場を埋める保護者たちの間から「コニタンよね?」という声がもれた──。

 '22年10月10日、日本航空高等学校・山梨で開催された『航空祭』の観閲式。ちょうど40年前、欽ちゃん(萩本欽一さん)ファミリーの一員として“コニタン”の愛称でブレイクした小西博之さんは、今年度から同校の通信制課程の校長に就任した。

 なぜコニタンが校長先生に?きっかけをつくったのは、本校および付属中学校の校長を務める篠原雅成さん。

「大学の1年先輩でもある小西さんの“命の尊さ”を教える活動に私自身がたいへんな感銘を受けましてね。本校でも講演をお願いしたんです」

 それが'21年9月29日のこと。呼んでもらったお礼に小西さんは、同校の理事長宛てに自分が書いた本を贈った。すると、「お話があります」と電話が。翌日、学校を再訪すると理事長から告げられた。

「通信制課程の校長になってくれませんか」

 小西さんは著書や講演の中で、学校に行かない子どもたちを“家が大好きな子”と呼び、学校に通う子どもたちと分け隔てなく寄り添ってきた。同校の通信制課程には、大勢の家大好きっ子がいる。さらには、すでに社会人となった青少年たちも学んでいる。例えば中学卒業と同時に相撲部屋に入門した10代の力士。13歳で芸能界入りした「嵐」の相葉雅紀さんも同校の通信制課程の卒業生だ。

 理由(わけ)あって通学できない子どもたちが学ぶ場で校長として力を発揮してほしい──。まさに天から降ってきたような話。小西さんの校長就任を、現場の若い教師たちはどう受け止めたのだろうか?

「本物のヤクザが乗り込んできたかと思いました(笑)」と、冗談まじりに話すのは国語教師の佐々木拓哉さん。『極道の妻たち』シリーズなど、“ワル”を演じる映画にも多数出演している小西さんの風貌には、本物顔負けの迫力がある。が、佐々木さんはこう続けた。

「話してみると優しくて、おもしろくて、本当に生徒のことを親身になって考えてくれる校長です」

 キャンパスを歩きながら、新米校長はすれ違う生徒たちに気さくに声をかける。

「観閲行進、どうやった?」

「ほら、走るとコケるで!」

「学校、楽しめよ!!」

 演技ではなく、自分の人生を懸けて、いま小西さんは教職に情熱を注いでいる。

「まさか62歳で自分が校長になるとは……。お話をいただいたときは、そりゃビックリでしたよ。だけど、決断に迷いはありませんでした。心の準備は40年以上も前からできていたんです」