好楽:もちろん色々あるんだけどね。三波伸介さんが司会の時で、(三遊亭)小圓遊と(桂)歌丸が口喧嘩なんかしてた時はさ、視聴率が42%の時もあったんだからさ。すごい時代だよね。

澤井:今じゃ考えられないですね……。長年やっているとメンバーとの思い出も深いのでは。それこそ昨年亡くなられた三遊亭円楽さんは、好楽師匠が兄弟子にあたる関係ですものね。

好楽:そうだね。円楽とは52年の付き合いだったね。最初は私の鞄持ちから始めてから、仲間達と作った野球チームで一緒に遊んだり、私がカミさんと当時住んでた石神井公園の家によく泊まりに来てご飯を食べたりね。それこそ家族ぐるみの付き合いだったよ。

澤井:仲睦まじいですね。円楽さんはどんな方だったんですか?

好楽円楽はA型で真面目な性格だったね。私はB型でいい加減だから正反対だったよ。例えば一緒にゴルフなんか行くでしょう。そしたら20分前にはウチの前に車を停めて待ってるんだよ。「早く着いたなら連絡してくれればいいのに」って言うと、円楽は「いや集合時間が決まっているので、それまではここで待ってますよ」ときっちりしていてね。面倒な頼み事をしても、返事ひとつで何でも請け負ってくれたよ。

澤井:かなり兄弟子を立ててくれるような方なんですね。

好楽:昔、一緒に地方で仕事している帰りに銀座に寄ったわけよ。それで銀座で一緒に飲もうと誘われたんだよ。当時、私はまだ全然テレビに出てない頃だったけど、先に円楽は結構出ていて稼ぎも良かったんだよ。

 それで私が「じゃあご馳走してくれるのか?」って聞いたら、「何言ってるんですか、兄弟子がご馳走するのが当たり前でしょう」って言われちゃって(笑)。それでも粘ったら、最終的に20万貸してくれて、さらに飲んでたら会計が30万近くになっちゃってさ。結局、弟弟子に1日に2回もお金借りて、その翌日に返したこともあったな。

澤井:本当に公私ともにずっと一緒だったんですね。

好楽:だから、亡くなったときは本当にショックだった。これも縁なのかわからないけど、円楽の訃報を聞いた時は、ちょうどカミさんの墓参りに行った帰りだったんだよ。ちょうどカミさんも円楽も72歳で旅立ったのも何かの縁だと感じたね。それですぐ円楽のもとに駆けつけたらさ、ふくよかで安らかな笑顔に戻ってて、闘病中のくたびれた疲れた顔じゃないんだよね。きっとつらい闘病生活を終えてホッとしたんだろうな。

澤井:お顔を見た時は、なにか声はかけられたのですか?

好楽「俺より先に逝くんじゃねーよ」ってね。そしたら周りの親族たちも皆んな泣いちゃいましたね。まあでも円楽とは平気で軽口を言い合える仲でさ。闘病中も、円楽に「兄さんいくつになったんだい」と聞かれて、私が「76歳だよ」って答えたら、「76歳は四捨五入したら100歳だよ」って最後の最後まで冗談言ってたよ(笑)。どこまでも円楽は面白いやつだと思ったね。

澤井今年7月にとむさんは真打に昇進されますが、発表を聞いた時の心境はいかがでしたか?

とむ始めて聞いたのは、師匠の口からではなくて、師匠のお客さんからなんです(笑)。聞いた時は「えっ?」って思いましたよ、そんな形で聞きたくなかったわって。まあそれだけ突然の出来事だったのでびっくりしましたよ。