そういう意味で、年齢的な衰えは特に感じさせないのだが─。だとしたら、別のことに変化を感じているのかもしれない。実は昨年、マツコは『週刊文春』でこんな発言をしていた。

《いまのテレビはいろんなものが削がれて、平坦で中庸な人しか出られなくなっている。そんな中で、本来テレビに出るべき人って、アタシがその代表格だけど、バケモノであるべきだと思っているから。(略)だって、隣にいる人と大差ない人を、わざわざテレビで見たくないじゃない》

「バケモノ感」の取り扱い方

 たしかに、最近のテレビを取り巻く状況は何かと窮屈だ。

 例えば、おととし『マツコの知らない世界』(TBS系)で沖縄の特大サイズのパンが紹介された際、マツコはそれを、

「生まれたての子猫ぐらいの重さ」

 だと形容した。これを筆者がテレビ誌サイトの面白ネタを拾う企画で「この人なら子猫ぐらい食べられそう」と書いたところ、編集部から表現を少し弱めてほしいという要請が入ったのである。

まるでヘッドロック!?おすぎとピーコとともに(’10年12月)
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【写真】ブレイク前の金髪マツコ、すっぴん私服のボーイッシュなマツコ

 マツコ本人はこういう「バケモノ」感を弱められたいとは思ってない気もするが、どうなのだろう。

 ただ、本人の思惑以外のところでも問題は起こる。佐々木投手をめぐる自虐ネタも、もしかしたら「男性を好きな男性」というマイノリティーの尊厳を損なうなどとして批判されかねないのだ。

「50歳」になって「丸くなった」と苦笑するマツコは、こうしたテレビ、ひいては世の中の曲がり角に合わせて変わっていくことをよしとせず、恐れているのかもしれない。

 ちなみに、マツコは木村拓哉と同じ高校の出身で、同学年。クラスは別で、木村は途中で転校したが、共通の友人がいて「自転車置き場で」「ちょろっと話した」こともあったという。

 50歳を過ぎてもカッコよさにこだわるキムタクのように、自らの信じる「らしさ」を貫いてほしいものである。

ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。